石の上にも、、~ 新卒エステティシャンがエンジニアに転職してから
SES企業に28歳で転職し、最初の1年は現場業務をこなしながら資格取得を中心に自分の市場価値を伸ばしていきました。
2年目、3年目
資格取得はペースダウン
当時のマネージャから資格勉強はしつつ、開発スキルも徐々に伸ばしていった方が良い。とアドバイスを受けたので、2年目3年目は少しペースダウン。
とはいえ応用情報を3年目で取得できたのは自分の中でもかなり嬉しかったし、自信がついた。
IPAの試験はnoteでもこちらの記事などで、メリットを書いてくださっておりますが、取得しておいた方が確実に良いと思います!
(高度はまだ未取得の私が言うのもあれなのですが、、)
コーディングの基礎を愚直に学ぶ
当時やったこととしては、上司の言いつけ通り
CRUDを実現する基本的なwebアプリケーションをJavaのフレームワーク何種類か使って同じものを作る
Servlet+JSP, Struts, Seasar2, Springを使って同じwebアプリ作りました。
今ほどGitが当たり前のように使われる時代ではなかったので、コードはどこにいったかわからず、とても勿体無い。。。
それ以外には、(古の言語になりつつある)jQueryのドーナツ本に書いているサンプルコードをほぼ全て写経するようなこともした。
他にも何かしら色々書いた気がするが、3年目くらいだと、かなり基礎的なコードを延々と書いていたような気がする。
私の場合、多分覚えがそこまで良くないので、
基本的なコードを書きまくった結果、体が覚えてくれた。と言う感じ
プログラムを勉強するときに「作りたいものをつくるのが良い」とは聞く。いや全くその通りなんですが、もし「つくりたいもの、、、うーん」という人がいたら、写経や簡易なwebシステムでも十分勉強になる。(ような気がする)
にしてもこの頃はAjaxというものに周りが少し騒がしくなったり、AWSやGCPなどのIaaSは全然浸透していない。今と比べるとサービスや技術の種類が全然すくなかったので、絞って勉強しやすかったのかもしれない。
今のエンジニアは種類が多くて本当に大変だと思います。
外部の交流会にも参加
これまでの文章を見て分かる通り、この頃はコロナ禍ににはいるさらに10年以上前のお話。
リモートのセミナーも多くはなく、興味のある交流会や勉強会は一通り参加してみたりした。今となっては人脈は宝だと思っているので、もう少しちゃんとすればよかったかなと思うが、
コミュ障のため初対面の人とまともに話せない(若干改善した)
内輪で盛り上がっているところに入れずポツンとしてしまう。
同年代だとキャリアが違うのでめっちゃめちゃすごい人っぽく見えて敬遠してしまった
ということが多く、結果あまり行かなくなってしまった。
この時もう少し色々行っていれば、、、とは思っている。
今でも若い社員にはよくいうけど、システムエンジニアはPCを相手に仕事するんじゃなくて人間を相手に仕事するものなので、たくさんの人と関わっておいた方が絶対にいい。
コミュ障はそのうち改善はされる(治るとは言い切れない)
3年コツコツした成果
年収
本当に石の上にも3年コツコツやり切って変わったのはなんと言っても年収。とりあえず3年で年収100万以上は増え、転職時にお断りした会社の年収はひとまず超えた。
パチンコで作った借金も少しづつ減るようになっていった。毎月27日にそれなりの現金が手元に残り、多少はまともな生活ができるようになっていった。(でもパチンコはやめれてない)
エンジニアとしての評価
愚直なシステム開発学習があったからか、Javaのwebシステム作るだけなら苦手意識が全くなくなっていたどころか、どんとこい。くらいに思えるようにはなっていた。
使ったことないフレームワークでも、まあ「いけるっしょ」みたいな。
面談でもその辺は喋れるようになっていたので、やっぱ基本って大事だなって思う。
このころ参画していたプロジェクトはcobol -> Javaのマイグレーション案件だったが、Javaのwebアプリケーション開発経験者があまりおらず、まだペーペーだった僕もそれなりにパフォーマンスを出せたようには思うし、評価もあったと思う。
社内での評価
イベントごとはなるべく出るし、資格は取るし、動ける範囲ではよく動いたと思っている。
それもあってか年収から見ても評価は良くしてもらえたと思う。年収は年功序列じゃないという言葉を体現してくれた当時の会社には感謝しかない。
できれば今後自分の会社でも若くて一気に上がってきてくれる人を望む
(僕の場合開始年齢が28だったので、結果年齢的にちょうどいいところに追いついた、という感じだったし)
最後に
今日もあまり中身もない中最後まで見てくれた方に感謝です。
3年で成果を残していったものの、リーダとなり、後輩がついてから2つの大きな失敗をします。
次回はその点について書いていければいいと思っています