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愛と煩悩と岩

長年続けている趣味の一つが、クライミングだ。結婚する遥か前から続けており、妻よりも岩との付き合いが長い。未だにやめずに続けているのは、単純に岩が本気で好きだからだ。
もちろん岩より妻の方が好きだが、一般的な人間よりかは岩の方が好きだ。正直に言うが、家族を除いては、どんなに仲の良い友達や尊敬する先輩よりも岩の方が好きだ。岩は嘘をつかない、岩は裏切らない、ただひたすらに自分を映し出す鏡だ。別に過去に誰かから盛大に裏切られたことがあるとか、親友に嘘をつかれてトラウマになったりしているわけではない。ただ、もともと人と関わるのはそこまで得意ではないのだ。だから職場の宴会も大概欠席しているし、何人かの仲間で行うBBQなども、進んで参加することはない。社交辞令でどうでもよい話を、そこまで仲良くもない他人とするくらいなら、その時間を使って岩と触れ合いたいと思ってしまうのだ。まあ実際のところは、宴会に行かなかった分の時間を岩ごときに使える身分ではなく、家に帰り家事と育児にいそしむわけだが。
一番上の子供が生まれてから、当たり前だがクライミングに費やせる時間は目に見えて減った。1人の頃はまだよかったが、2人目、3人目と子供が増えるに従い、どうしても岩が好きだから触れ合いたいのだという、普通の人から見たら頭がおかしいとしか思えない理由でクライミングに行かせてもらえる機会は激減した。
そこで世の中のクライマーパパの誰しもが考え付くわけだが、子供をクライマーにするという野望を抱くことになるのである。子供がクライマーになれば、休みのたびに子供がクライミングに行きたいと言いだし、仕方ないなあなどと、子供のやりたいを具現化するのが親の務めだという雰囲気を出しながら自分がクライミングを楽しむことができる。これまで不可能とされていたが、なんと趣味を育児とすることができるのだ。
そこで私は新生児の長女を岩の下で育て、よちよち歩きできる頃には適当に登れそうな岩をトップロープで登らせ、海に行こうと誘って海岸沿いのボルダリングにトライさせるということを続けてきた。もちろん長男も一緒に、どちらに素質があるのか見極めるというまだ全く必要もない義務感を抱いて連れて行った。自然岩だけではクライミングの楽しさに気づきにくい場合もあるので、屋内ジムにもしょっちゅう連れて行き、お菓子をゴールにおいて登らせた。しかしどういうことだろう、一向にクライミングにはまる気配はない。そればかりか、むしろクライミングはお断り的な感じさえある。たまにジムに行って登っていると、一心不乱にクライミングにうちこむ小学生を数多く目にする。この子たちはいったいどうのようにしてクライミングが楽しいと思うようになったのだろうか。私がやってきた以上のことがあるのだろうか。あの野口啓代だって小学生のときにジムで登っただけですぐにはまったと言ってたではないか。子供をクライマーにするというミッションの答えは、永遠の謎として未だに私を悩ませている。
最後の望みとして、現在3歳である次女をなんとかクライマーにしなければならない。現在はそのための作戦をじっくりと考えながら日々を過ごしている。今できることといえば、一日一回“クライミング”という単語を次女に聞かせることくらいだけど、、、

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