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バンドをやっていたころの話

バンドの時の話をもう少し。

今は配信できたり
伝えるツールがすごい。

とっくにバンドをやめた私は
何が新しいのかほぼわからない。

友達ともりあがり
バンドをはじめた。

当時は下手でも
やることに意味がある。
というニューウエイブという
ジャンルがあった。

例えば日本で言うと
ゼルダや戸川純、
ゲーシュミット
ちわきまゆみ

私のボーカルのあこがれは
このへんの人たち。

男性で言うと

スターリン
オートモッド、マダムエドワルダ、
アレルギー

ばちかぶりのボーカルさんの歌い方も
好きだった。
町田町蔵もすごく好きな歌い方の
曲がある。

メトロファルスのボーカルさんも
歌い方が七色ヴォイスでリスペクトしていた。

このへんのかたがたは
人間と思ってなかったかも。
ものすごくあこがれていた。

自分も歌いたくなり
ライブもしたくなった。

カラオケが得意だったけど
いざスタジオに入ると
楽器はできないし曲も作れないので
絶対音感が私はあまりない。

友達にこれを何回歌うの?から
はじまった。

声も高い声が出なかった。
楽器の音に負けがちだった。
スキルの高いドラマーが入ってきたら
音数がすごいから
声がのみこまれていた。

きょうだいの中で一番絶対音感が
なかった。それがまたなんで
バンドをしたのだろうと未だに不思議。

宝島大好きのサブカル女子とまで
行かないけどサブカル女子が増える
手前で宝島を毎月愛読していた。

ゼルダのサヨコと戸川純が特に
好きで服装もヘアースタイルも
真似したりしていた。

歌い方も特に戸川純さんの
曲によって違うのに引き込まれ
そんな風に歌いたいと強く夢見る
ようになったのだった。

首になるんじゃないかというくらい
ダメダメなボーカルで

リーダー的な曲も作れる友達に
いろいろなバンドの曲をほんと
たくさん教えてもらって

歌い方もこういうのがあるとか
それも奮起させられ
だんだん本気モードになっていった。

好きなことを捨て身でやるというのは
小さい頃からだったかもしれない。

誰かが必ずくやしいと
思わせてくれていた記憶。

メジャーになるのでなく
(実質無理だけどね)
関西でバンド名は知られたいなあと
言う感じだった。

リーダーが
普段はソフトな子だったけど
絶対ゆずらないところがあって

まずコネ作りは嫌い。
それは音楽に対し邪道だというくらい。

ライブでも
年末のオールナイトライブに
出るのはバンドの子たちの当時は
楽しみだった。
それも出ないと。

野外ライブも路線があわないから
出ないと。

某十三にあったライブハウスにも
出たかったけど
それもなぜかNO!

私もミーハーなのは基本好きでないけど
そのライブハウス、楽屋が当時2階にあった。

演奏が終わったらみんなに見られながら
階段をあがっていける。
それがかっこいいと思っていた笑汗。

オーディションでダメだったかもだけど
NOだったからかなわずでした。

私たちはとにかくだんだん
バンドのカラーでしゃべらない子に
なっていました。

なのでバンド内でも会話はあまりない。

ミーティングなんてしたことも
なかった。

ライブでも私はべたな関西の話し方を
するのでMCもなし。
これもリーダーの指示だった。

練習の時も部活のインターバルのように
黙々と次のライブのせとりを
繰り返す。

同じ歳の女の子たちは
男の子にどのように気に入ってもらえるかの
時代だった。

その努力をしているところに
背をむけて私はうまく歌うのはできないけど
変わった歌い方はしたくて

ライブも来ている人をおどかしたかった
一心でどう動くかばかり考えていた。

リーダーはそこは私より器用で
ストイックにやりつつ
メンバーの男の子たちとつきあっていた。

それルール違反なんだけどね。
一度私はきれた記憶。

オリジナルの曲を作っていってくれていたから
できあがったよーという電話が
楽しみで楽しみでたまらなかった。

それだけやっていたから
感覚で小節はカウント
できるようになっていた。

こういう歌い方の人がいるというのは
パティスミスのロックンロール的な曲。
それ無理やろう。。って思っていた。

私の普段の生活背景がまず違うやんと。
私はごく普通のノーテンキな明るく
にぎやかな家で育っていたので

両親もカラオケで演歌を歌う
おじさんおばさんだった。

父が民謡がすごくうまくて
高音も簡単に出せてだったので

逆にバンドを辞めてからの
習っていたジャズやシャンソン時代より
今の方が高い音は出る。

それは父からの大事なDNAだと思っている。
その父が唯一バンド活動に賛成してくれていたと
思いきや近年になり

わしはお前の歌は認めてなかった。
音必ずどこかではずすやろって汗。
わしははずさんからって
味方じゃなかったの?お父さん!だった。

バンド時代はリーダーとほぼ遊んだりも
あったけど話し合いで
遅い時間まで出かけていた。

だから寝不足。
そんなだから高い声は出ない。

今はそんなことしないから
逆に出るようになり
力の抜き加減もわかるようになったって
今更なんですのん?です笑。

今はギターを女の子が背中でかついでいても
バンドをやっているといっても
革ジャンを着ようが
金髪だろうが

誰も後ろ指ささないじゃないですかあ。

私がやっていたころは
バンドやっている子は不良だからとか
全てにだらしないと勝手に思われるだった。

バンドをやっているから
男にだらしないやろ遊んでるやろと
というモードで
近づいてこられたりもあった。

これバンドやっている同志のような
男たちもそういう扱いしてくるやついたな。

結婚対象にならなくなるから
個性的すぎる服装やめた方がいいと
バンドメンバーから忠告されたりもあったっけ。

今思うとこれセクハラだよね。
ほんとほっといてくれだな。

私はバンドをやっているからと
いって全てにだらしないと言われるのが
嫌だったので

練習やライブ以外は
普通の子に徹していた。

何となく親に心配をかけたく
なかったし
きょうだいの事も大事に思っていたから。

でも服装は古着や革ジャンや
インドの柄の洋服が大好きだったので
着ていた。

じろじろ見られていた。
お母さんは知り合いに挨拶しなくていいからと
嫌がっていた。

きょうだいはばかにしてきていた。

友達が唯一
バンドの話をしている時
目がキラキラしていたよと言ってくれたのを
未だに覚えている。

それからの後世
目を輝かせたことってあったのだろうかだ。

今はキラキラになることを
やりたいという思いにはなっているけれど
探し中。

もっとあるけど
このへんで。さらばじゃ。



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