無知の知のち恥
物事になんでも名前を付いているのはある点ですこし迷惑なことだ
花粉でどうしようもなくかゆい目に目薬を染み込ませながら思う。
だって花粉症なんて言葉なかったら、毎年来るかくるかと朝のニュースを見て身構えることもなかっただろうし、どうせ外でたらマスクしなきゃいけないんだからって化粧を疎かにする事もなかった筈だ。
ご丁寧に分類された私たちは「〇〇だから□□なんだ」とあらかじめ決まっているかのような同じ行動をすることで自分で思考する手間を省き、それが正解なのだと錯覚する。
なんて小難しいことを言ってみたけれど、結局私は今のこの気持ちを名前のついたあの感情だと認めたく無いだけだった。
目が痒くてもこすって化粧が崩れないように目薬を買ったり、マスク外しても可愛いようにリップをしっかり3つ重ねてたり、去年まではそうかもと思いながらも認めなかったけどあの人との共通の話題になると知って花粉症だと認めたり。
それら全部の理由をみんなと同じ言葉で括られて、わかった気持ちになって欲しくなかった。
ふと自分はあんまり漫画を多く読む子どもじゃなくてよかったなぁと思うことがある。
知ることで得られる事は沢山あるけど、知らなかったことで得られる事もある。
読んだことのある漫画のセリフは現実じゃ恥ずかしくて言える訳ないけど、読んだことない漫画のセリフを知らずに言ってたら全然恥ずかしくない。
知らないことは恥だというけど知ることで出てきてしまう恥もあると思うのだ。
唯一全巻揃えてるラブストーリーはあまりに現実味がなくて大好きだった。
だけど今から起こる事も飽和してしまったこの時代じゃきっとどれかしらの真似事で、誰かが見たら現実味がなくて恥ずかしいのかもしれない。
そしてどうせみんなと同じの、あの感情に踊らされてると思うんだろう。
休日明けでずっと温まっていた部屋の空気を外のと取り替えると思いの外寒くてマフラーを引っ張り出す。
いまだ気づかないふりをされ続けるこの気持ちをくるんで、全てのことに名前がついてしまった便利で迷惑な世界に飛び出す。
私の現実は誰かじゃない私が決める!
マンションの管理人さんと目が合う。
それで流石に恥ずかしくなったので頭の中のナレーションをオフにした。