はちみつ、マスク、のど飴。
行きたくない用事の時の方が早めに集合場所に着いてしまう。
そもそも愛すべき彼女とのデートを行きたくない用事に仕立て上げたのはまぎれもない自分なのだけど。
珍しく早いね、と言いながら10:58分にやって来た彼女は何も無いような表情をしているが、いつもよりまぶたが少し分厚い。
僕が昨晩、「話があるので明日会おう。」という"別れ話をしま〜〜す!!"な、ラインをしたからだろう。
実際今日、彼女をふる予定だ。
というか彼女にふられるかもしれない。
今まで何度かその可能性があったが、彼女は何度でも許してくれた。
だけど今回は違う気がする。
彼女は僕の携帯を見ていた。
しかも彼女がラインをチェックしているタイミングで、丁度浮気相手からメッセージが来て、その場で少しやり取りをしたらしい。
「久しぶり、今週どこか会えそう?」
既読「明後日下北13:00、いける?」
「うん!楽しみにしてる!」
悪い子じゃない。ラインを遡るごとにそう感じる。
いや、悪いとか良いじゃない。
私と似ている。
彼の浮気癖に気付いてからはもう何度か携帯を覗いていた。
その度に「私は彼女です。彼がごめんなさい、もう会わないでください」という旨を相手に伝えていた。
浮気相手達はみんな揃いも揃って苦手なタイプだった。
会ってもないのにやり取りを見るだけで浮かび上がる、ピアスの空いた耳と鼻にかかる声、目に添加物を沢山つけて品のない言葉を躊躇なく口に出す、そんなような女達。
彼女達は遊びだと一瞬で分かっていた。
彼が体調を崩して私が看病しに行った日、浮気相手から
「喉にははちみつ大根が良いんだって。今度作っていくから今は安静にしててね。」
というメッセージが来ていた。
私は彼の携帯を覗いて、初めて泣いた。
彼と付き合うきっかけになったのも喉を痛めた彼に私がはちみつ大根を作って持っていったことから、だったから。
この子は次の私だ。でもきっと暫くしたら、彼はまたその次私を見つける。
私が沢山死んでしまわないように私が食い止めなくてはならない。
だから、会わないで。の代わりに会いましょう。のメッセージを送った。
「ついた!」12:53
既読「駅前のガストにいる」
「はーい!」12:55
結果を言うと、彼女の方から別れ話をされた。
何度浮気をされても遊びだって分かったから許して来たけど、今回は本気でしょ?
って。図星だった。
そして、分かっていると思うけど1時間後に浮気相手も来てくれるから一緒に話そう、と。
僕は治りかけの喉をいたわってマスクをしていたけど、なんとなく申し訳なくて外した。
彼女は怒っているというより悲しんでいるようだった。
マスクを外した僕に、袋に入ったのど飴をくれた。
声が資本の僕を気遣っていつも一粒づつくれていたのに、
今日で終わりだと気付いて僕も悲しくなった。
13:00ぴったりにやってきた僕の浮気相手は、彼女のことを見て心底驚いたようだった。
几帳面な性格なあの子が、外したイヤホンをぐしゃぐしゃとバッグにしまう程に動揺していたのだろう。
彼女は、怒らず、むしろ哀れむような目であの子を見つめ、そして僕に目線を移すと
「私と別れて、そしてこの子とも別れてください」
と言った。
「彼女さんがいたの、本当に知らなくて。ごめんなさい」
「いいんです、彼が全部悪いし。」
「ちょっと時間をください」
そう言うと浮気相手のあの子は私の正面に座り、ぐしゃぐしゃになったイヤホンのコードをきちんと纏めて水を一口飲んだ。
見た目は私とは似ていなかった。
セミロングの黒髪を少しだけ外ハネにして、襟の大きなワンピースを着ていた。
とても申し訳なさそうで、だけど悔しそうで、悲しそうで、多分今の私と似たような表情をしているあの子を見て、私の選択が間違えではないことを再確認する。
彼はひたすらグラスの周りについた水滴をおしぼりでぬぐっていた。
こう言う時になにも言えなくなるのは分かっていたし、今まではそれさえも愛おしかった。
だけどそんな気持ちものど飴の袋と一緒に残さず全部渡した、もう一粒も残ってないはずだ。
あの子は暫くすると少しも涙を浮かべず彼に
「私からも。
私と、別れてください。」
と言った。
そしてテーブルの上に瓶が丁度よく収まった紙袋を乗せた。
「最後になるけど、また、喉悪くしてたみたいだから。作ってきたの。はちみつと大根に罪はないから食べてね、って私にもあんまり罪ないけど。では私はこれで。彼女さん本当にすみませんでした。」
そう言い残すと、着いて20分も経たずに帰って行った。
私はいつからかはちみつ大根を作らず、のど飴で済ませるようになったことを思い出した。
瓶を洗うのも面倒だし、持って行ったり持って帰ったりするのが重たくてしんどくなったから。
似ていると思っていたあの子は、多分今の私よりも彼のことが好きだった。
「あのこ、いい子だから、きっと幸せになるよ。
あと、私も。
じゃあ喉お大事に。」
4人席のテーブルに1人だけになった僕は追加でチーズハンバーグとほうれん草のソテーを頼んで食べた。
ドリンクバーのオレンジジュースが喉に沁みて痛かった。
この何倍彼女とあの子は痛かったんだろうか。
それでも僕が痛くないように最後まで、優しかった。
あの子から貰った紙袋に彼女から貰ったのど飴を入れて、最後まで最低な自分をマスクで覆った。
会計時に引いたくじが当たらなくて本当に良かった。
ラインアイコンの、彼女の横にも、あの子の横にも映るヘラヘラとした男がどうしようもなく気持ち悪くて左にスワイプして消した。
雨で電車が遅延して15:00からの打ち合わせには間に合わない。
半年前に買ったスニーカーに水が染み込んできた。