音をもっと楽しむためにzに気づけ!
どうも。のいさんです。
前置き書いとくけど、この文章はもしかしたら人を選ぶかも。
私欲と陶酔だけだったり、現世や自己に縛られる中で曲を書いてる方がこの文章を読んだらひどい嫌悪感を抱くかもしれません。
閉じてください。Altと左キーもしくは右スワイプで。
逆に、早速棘が入るけど、
音楽をジャンルにこだわらず楽しむ、楽しみたい方、
ジャンルではなく音楽そのものが好きな方、なんでわたし達は音楽を聴きたくなるんだろう?とかそういうの。なんでもいいけど、源泉に興味がある方だけが読んでください。
とは言っても立派な文章がつらつらってわけではありません。
まだ修行中の身の拙い文章として。ここに記録として。
はい、さらに前置きだけど、ここまでで、さっきのふるい分けの末にこの一文を読んでる方でお察しの方がいるかもしれませんが、今完全にヤバいモードに入ってますw
憑依自己暗示型の作曲モード?
なので、多分言ってることおかしいですw
ただやっぱり、書きたいものは書きたいからね。
もともと描きたい曲を描くのではなく、
今描くべき曲を書くのが自分のやりかたなんですけど。はい。
なので、このジャンルが好きだからこれを描くではなく、
私はこういうキャラ設定で売り出してるからこういう曲を書くとか、
もちろんそういう方向性でも曲を書く意思があって、それを見越して名義を分けたというのは以前お話しの通りです。
今回私の中のCiphleXな私が全力でCiphleXしに来る。
そんな一枚がX-1(ぺけのいち)なります。
後悔なければ過去を反省する必要はない。
今の自分が今の自分となる為に通ってきたルートをはっきり覚えていればそれで充分だろう。
これは平素私がいろんなところで唱えていることの一つ、分相応(を見失うな)をより更に1グレード昇華するための儀式となります。
数ヶ月前に、とある先生とのたった1時間のやり取りを通じて、思ったことがありました。
自分の目指す道の先に彼の方はいる。
だが自分はそのペースに完全に遅れをとっている。
自分は正しかったと思う反面、
自分の作家としての存在意義がないのではないかという、不安ではなく、疑問として浮かんできました。
これは、欲を切り捨てて事を観れる方だけが共感出来るだろうかという話ですが、
そもそも私には音楽をやめる理由がないことに併せ、別に音楽続ける理由もないんです。
自分のモノを表現しながら考える手段として適当だったのが、執筆、音楽、特に、言語化不可事象とのコンタクトに適したモノまで問うとしたら、音楽が最適。ただそれだけです。
だから、私の先に誰がいようと辞める理由にはなりません。よって不安には感じなかった。
ただ、自己研鑽で音楽は続けるが、公開してまでやるか?
という。
2011年への逆戻りが見えました。
曲はあるが公開はしない。部分部分しか出さない。
そっから今月9月頭に、
その先生の楽曲をいくつか聴く機会がありました。
圧倒されたよ。
自分のやりたいの上がそこで流れてるんだから。
この音は遊んでる。
掌の上で最先端をすっ転がしてやがる。
なるほど、達観は学習最大の敵といったが、
思考停止とはわけが違う。常に景色が見えて、
何かあるたびにクリーンな新しいが上塗りされて行くものだ。
手前は思考停止に陥ってたかといえば、どちらかと言えば
音楽理論の必要性を探し求めてた時の見えない解答との戦いの方が近い。
そしてそのQ.E.D.を見せてもらえたのがその曲群。
もちろん本気でその答えを探し求めている人にしかそれをQ.E.D.と知覚することはできない。
小学生に数学的帰納法を理解させようとするようなもの。
改めて問おうか。楽しいってなんだ?
自分がホルモンぶっ飛ばしてればそれで楽しいなのか?
不正解ではない。ただ理想解としては赤ペンが全く泳ぐことなく斜めに線が入る。
覚える数学に価値はなし。
同様に覚える音楽にも価値はなし。
そこに価値を見出す者同士が戯れていれば良い。
ただ私は繰り返しだが自己研鑽として音楽に触れています。
ならば音楽を算術論理的解析しなくてはなりません。
できるという証明は見せつけられました。
ただし解答だけ出される形で。
ここから、私はこの定理の証明をしなくてはなりません。
X-1は思わぬ形で途中式とせざるを得なくなりましたね。
タイトル的にもたまたまですが、悪くないのではないでしょうか。
もちろん元々数学的な意図はありましたが。
さて、何言ってるかわからないかもしれませんが、
少なくとも、この音楽の算術的解析の証明が存在する。
もし本気でクオリアを研究すれば、「あーこれがあの時あののいとかいうやつが言ってたこれかー」って知覚する時が来るはずですよ。
ただ、音楽だけをぐるぐるし続ける中でこの存在を知覚するのは…困難を極めるのは今の時点で証明完了とはなりましたね。
ざっくりいうと音楽の四則演算を理解した上で、
四則演算ということは、可算要素と非可算要素があるということですね。
音楽から抽出される可算要素だけで、証明せよって、もしそれができたら音響心理学とかその辺りが完成してることになります。
まぁ、すこしわかりやすく言えば人工知能が今後作られうる音楽を全て作れるようになるということとも。
少なくとも現時点では存在しないでしょ。
なので逆証明、いわば対偶となりますはい。
故に狭義的な意味で音楽をやるには
音楽以外を学ばねばならない 🥝.D.
改めてびっくりなのが、エゴの放棄が可算要素に包含されるなんて…いや、それを察してたからここまで分析できて、今回証明を知覚できたんでしょうよむしろ。
そしてもひとつある。この可算要素の組み合わせは人それぞれ。
私はどうやらx+y=zくらいまでシンプル化して回答にアプローチする形でzを定義してしまったようなのですが、
人によってはa+b+c+〜=zもいれば、ΣやΠを使う人もいるでしょう。人それぞれです。
はい、ここでタイトルに戻ってくださいねー。
なんて書いてある?そう! zに気づけ!
はい、そゆこと!終わり!
しかしまぁ…まさかそこまで汲み取ってあのタイミングで…?
もしそうとすればやはり適いませんね。
もっといい歳の取り方をしなくてはって思いましたよ。
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