X-4 2:(KL)er
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一応捕捉
この文章はX-1 X-2 X-3 とかいうアルバムの内容を
把握してる方向けの文章になります。
あくまでアルバムのベースとなる文章であり、
人に見せることそんな想定してないような
殴り書き感もあるのでそこはご愛嬌。
多少読めるように修正はかけてるけど。
以下、本文。
2010年ごろ、 社会に出てもいない大学生はふとこんなことを思ってたり。
世界中の人間が今の基準でいうところのIQ120ぐらいが、
もし100にシフトしたら、 どれだけ喧嘩が減るんだろう?
まぁ、重箱の隅ながらそこまで減ると期待はできないんだけど。
あの人あんな勉強できたのに、なんで今あんなこと…
とか、色々見たりもして。なので一口にIQが高いほど、
頭が良いというわけではなく、勉強ができる、知識がある、
つまり知識による補正で頭が良い状態にシフトしている、
という意味で考えるべきなんだろうけど。それはさておき。
そういうこと。先人たちの知恵であり知識は崇高なもの、
それだけに、制度が完ぺきではない知識もあれば、
そもそもが根本的に間違っている知識もある。
知識の扱いって実はなかなか慎重になる必要性があるんだね。
知識が原因で人がダメになってしまうなんてこともある。
中途半端な理解で解決したり、
全部理解した気になって、教える側目線に立って布教したりとかも、
往々にしてあるというかもはや跳梁跋扈ってレベルであふれてるから。
悪意があろうとなかろうと、歪曲がこもってたら最悪だ。
それをもし誰かが全部信じ込んじゃったら、
もはや救いはどこにあるのかって話だし。
では、それを食い止めるにはどうしたらいいだろう。
ひとつしかないよ。 どうあがいても一つしかない。
いやまって、でもそれおかしくない?とか、
もしかしたら間違ってるかもしれない。とか
これをよく、疑ってかかるとか表現されるけど、
そういうことではない。
校正する これが適した表現かなと。
疑ってかかるとでは大きな違いがあるよね。
あからさまに正しいところや、
もしかしたら間違ってるかもしれないけど、
それよりも正すべきあからさまに間違ってるところに、
先にフォーカスするべきなのそっちのけで、
首をかしげるというなかなか理に適ってないアクションまで、
肯定できる話になっちゃうから。
そんなかんじ。いちばん矛盾してるところを
どんどんド突いて行くんだ。それをいーーっぱいやってると、
どんどんモノの見方に対する精度が増していくね!
つまりこれ転じて言うと、おかしいこと言ってることに対して、
おかしいと指摘することは おかしいってことにもなるじゃん。
なんでか。 おかしいこと言ってる人がそもそも、その
おかしい可能性を追求する つまりは知識を校正する意識が微塵でもあれば、
仮に現時点でおかしいこと言ってたとしても、そのうちひっくり返るよね。
逆に、校正の意識がかけらもなければ、
外部がおかしいおかしい言ったところで、
おかしさを検討するなんて120%ありえないじゃん。
手前が手前の頭で、もしかして間違ってる?って考えて、
時に勇気を出して、言い放っちゃった恥も脱ぎ捨てて踏み出す!
それ以外ないでしょ。
そこに気づかせてあげる事や、時に支えになってあげることはできるけど、
おかしいとただ言うだけというのはそのどちらにも当てはまってないし。
根本的な目線の違いとその動機にフォーカスしないと、
一生睨みつけられるだけじゃん。 本人なりの理由無視しちゃね。
まぁ、校正だね。理由をどんどんアップグレードして行けば、
おかしさは次第に消えていくでしょ。
一個一個丁寧に整理して行けば良いでしょ。
それで、どんどんいろんなことに整理がついて行ったら
そだね、後からIQも120にでも到達してるんじゃね?しらんけど。
そんな感じ。
知識による知力補正では人は時にとんでもないバイアスにさいなまれる。
校正による知識の補正が知力補正になる。そんな感じかなと。
この知識、もっと精度の高い解釈や活用法があるかもしれない。
をいっぱい積み重ねていけば、世界中の人がそれをやれば、
今まで起きていた喧嘩が ひとつふたつもっともっと、
いやちょっとまて、ってなる事が出来たり、
諍い起こすにしちゃくだらない要素だなとか、
そもそもそういう歪曲した発想にすらならないんじゃないかななんて。
と思えば、知識って知力自体ではなくて、あくまで道具なんだなって
改めて認識させられるな~なんて思うところ。
盲目的に自分の正しさに固執するなりして、
学ぶことに対していい加減になっちゃったの目線が、
少しでも晴れるといいなと。
昨日より今日1つだけでも新しい発想を見つけられてるといいなと。
切に願うところでごぜーます。
いいんだよ。いくらでもバカなこと言って。
いっぱい言っとけ。 その中で、あ、アレバカな発言だな!
って気づくだけでも、上出来じゃん。
実際に世界を見てみいよ。
知識に胡坐をかく自称才子より、
拳を天高く突き上げる自称バカの方が
圧倒的に強くて優秀でかっこよくて
頭もいいじゃないの。
一生バカのままの方が良い。
バカのままどんどん賢くなれ。
賢い人間にはなるな。
世界はあなたの寿命が5,000歳10,000歳、
100,000歳であったとしても
理解しきれないレベルで、バカであふれている。
お前はどこまでも突っ走れ。
経由地を最終地点と勘違いしてる
自称才子なんか捨て置いて
どこまでも突っ走れ。
その姿、最高にかっこいいと私は思います。
proof of K.L.
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