僕が最も愛する映画のこと。
今日は僕が最も愛する映画のことを話そう。
その名は「ガン・ホー! 突撃ニッポン株式会社」である。
なに、知らないって? まあもう30年位前の映画だし日本未公開だし。
僕も金ローかなんかでTV放映されたのをたまたま観て知ったし。
この映画、日本の描写が一部では国辱映画として有名なのだが、そんなことは些末なことなのだ。
この映画の大事なところはそこではないのだ。
それについてただただ情熱の迸るままに語っていこうと思う。
なお、古い映画だからあらすじを完全にネタばれするがそこはご了承の上読み進めて欲しい。
舞台はとあるアメリカの寂れた町。
主人公は、その町の活性化のため、日本の会社に誘致を頼みにきた男。
その日本の会社、社員教育のために社内道場で社訓を絶叫させたり、寒中水泳で気合を入れたり、後に出てくる工場長の奥さんが家で花魁みてーな恰好してたり……まあ、とにかく完全に誤って偏った日本観で描かれていて、これが国辱映画と言われている理由なのであるが。
……繰り返すが、そこは大事じゃないんで。
なんやかんやで誘致に成功し、失業者に溢れていた町に活気が戻る。
……と思いきや、工場では朝のラジオ体操からはじまり、日本式の徹底した全体主義っぽい労働環境のうえ、ありえないノルマを課されてアメリカ人労働者は不平タラタラ。
主人公は労組代表となって工場長に労働環境改善を要求するが、逆に工場長は全然仕事に責任を持たず、ノルマもクオリティもまったく要求を満たしていないアメリカ人労働者に不平タラタラ。
親睦のために開催した野球大会ではチームワークで地道に得点を重ねる日本人チームに負けそうになったアメリカ人チームがラフプレーに走るなど確執は広がるばかり。
アメリカ人労働者と、日本人工場長の板挟みになってしまった主人公は、工場長に言われた「給料アップの条件として課されたノルマ」を大幅に低く伝えてしまい……やがてそれがバレて双方の信用を失ってしまう。
同じころ、日本の本社からの苛烈なノルマ要求を満たせず、ダメ社員の烙印を押された工場長も自暴自棄になっていた。自分は家庭を顧みず、ひたすら仕事に打ち込んでるのに! 彼もまた会社と現場の間で板挟みになっているのだ。
そして本音をぶつけ合い、本社からの撤退指示を撤回させるため、絶望的なノルマに二人で立ち向かうのだった。
……とまあ、こんなあらすじ。
盛大な勘違いニッポン描写のことはとりあえず置いといて。この映画のテーマに主眼を置いてみれば、そこには普遍的な「すれ違いからの相互理解」が浮かび上がってくる。
自分、家庭、生活、昔ながらのやり方を守りたいアメリカ人。
組織偏重でクオリティと売上を上げることに終始する日本人。
その生き方のテンプレートは決して大きく外れたものではない。
そしてどちらも正しく、どちらにも欠点がある。
大切なのは、互いの意見の食い違いの認め、互いが満足できるよう互いが努力し、歩み寄ることなのだ。
その過程が、とても丁寧に描かれている。
互いの意見を容れられない狭量さ、双方を満足させようとしてウソをついてしまう弱さ、自分にとって不都合な真実を伝える勇気、互いの気持ちを慮ることの大切さ、そうしたことで開ける新しい道。
誰かを悪者にしなくても、痛ましい事件が起こらなくても、ただ普通に生きるだけでも波瀾万丈。当たり前の日常が素晴らしい人生なのだ。
それを味あわせてくれるから、僕はこの映画を最も愛しているのだ。