『百万円と苦虫女』のことを考えていると自分の話になっていた
『百万円と苦虫女』を10年ぶりくらいに見ました。
内容は一部を除いてすっかり忘れていた。いい作品だったという気持ちと、桃村、ラストシーンだけは覚えてた(最後の方は「こんな展開だったっけ!?」と号泣…)。
毎月見たものや読んだものの感想を記事にしていて、この作品についてもその記事内で書こうとしていたのだけど、書いていると単純に感想だけじゃなくなってしまったのでこちらで書きます。
ざっくりあらすじ
短大を卒業後、就職に失敗してアルバイトをしていた主人公。
とあることで前科持ちとなってしまい、実家に居づらくなってしまって、家族に「100万円貯まったら家を出ていく」と宣言する。
100万円が貯まるたびに住む場所を変え、また新しい場所で暮らし働く、という生活をしていくのだけれど…というお話。
自分の意見を言うことは怖い けど、言わないと伝わらない
とある事で主人公が村人全員から糾弾されるシーンがあるのだけど、田舎の嫌な感じを一気に味わえてきつい。すごい。
私はこういうとき、何も言えなくて溜め込んで泣いちゃうんだよな。
前に会社を辞めたときのことを思い出してしまった。仕事がうまくいかず、うつ状態になってしまって、休職後に結局退職することになった時。
最後の出勤時、上司に「挨拶もなしで辞めるんですか?」と言われて、気乗りしないままに部署のみんなの前に立たされて挨拶をしようとするのだけど、泣きじゃくるばかりで何も言えなかった。
なので主人公は、かなり勢いではありつつも、本当は言いたくない事もちゃんと言って強いなと思う。少なくとも私よりは、自分の意志を伝えようと逃げずに向き合っている。
というか団体の圧と戦うって普通に怖いよね。対話じゃないもんな。あれ。
なぜ自分の気持ちや意見を人に言いづらいのだろう。
「どうせ言っても分かりあえない」と鼻から思い込んでいるとか、「分かってもらえるように伝えるための努力がめんどくさい」とか、そういう面はあるのかもしれないな。
以前某オンラインサービスで、見ず知らずの人に自分の生き方について咎められたことがあって、その時の自分があまりにも情けなかったのを思い出した。
その人には、私が稼げていないこと、またそんなに稼ぎたい気持ちもないことに対して「お互いを支えるのが夫婦なんじゃないんですか?」「旦那さんを助けたいと思わないんですか?」とか、理解できない…という感じの口調で言われたんだった。年下の女性だった。
結局私が泣きながら「すいません、もう切って良いですか?」となぜかうやうやしく通話を切ったんだった(弱すぎるなあ)。
まあ実際、そんな初対面でズケズケと言ってくるような人とは分かりあいたいとも思わないし分かり合えないだろうけど、せっかく関係性がある人や、ちょっとでも自分が心を開いている人なら、何も努力をしないで放棄するのはもったいないことなのかもしれない。
最近、夫が良かれと思ってくれたアドバイスを、自分とは考え方が違うけど、それを伝えられない ということがあった(仕事の探し方の話)。
その後泣きながら、少しずつ自分が泣いている理由や、自分と違う意見に対しての考えなどを聞いたりした。結果、夫はよく聞いてくれたし、自分としてもスッキリしたし、良い時間だった。
あの時の涙は何だったんだろうと考えると、よくわからない。
傷つけるかもしれないから?嫌われるかもしれないから?いろいろ考えたけれど、単純に自分の心の内を晒す事が怖いのかもしれない。
でもそもそも、自分の意見を言うことと、人を傷つけることとは違うんだよな、と夫と話して思った。
他人なので考え方は違って当たり前だし、物事に正解はない。
逃げずに対話することで伝えるしかないし、理解するしかない。
関係のリセット癖が自分と重なる
森山未來とのカフェのシーンで出る、主人公の「逃げてるんです」というセリフ。
主人公の転々と生きる身軽さに、それができない私は憧れてしまうけど、彼女にとっては逃げてることになるんだなあ、と思う。
確かに楽しさの気持ちで住むところを変えてるわけではないよね。
『やっぱ合わねえな 区切りいいし次行くか』くらいの気持ちなのかもしれない。楽ではあるのかもしれないけど、『逃げてるな』という認識がありながらもそれをするのは内心苦しいことかもしれない。
そういえばあまり自覚がなかったけど、自分にも関係をリセットすることが結構あるなと思った。
趣味の合う人だったのに、自分が言われたくない事を言われて連絡を返さなくなったり
一緒にフェスに行ったり実家に泊まりにまで行ったのに、向こうに少し怒られただけで誘いを断るようになったり
自分の働き方の考えが変わってきたというだけで、今まで良くしてくれた人に返事をしなくなったり
前の職場で自分に良くしてくれた人だったのに、もう職場のことを思い出したくないとか、自分の情けなさを直視したくなくて関係性を切ってしまった人
うわーけっこうある きつい
結局私も逃げて逃げて逃げまくって、今はどこにも属していない状態だ。
居心地はいいのだけれど、社会から逃げているなあというのは確かに感じる。
結局今も友人に飢えていて、何かと探そうと行動しているところだった。
良い人そうだと思う人がいたところで、相手と合わない部分を少しでも見つけたら、また関係性を切るだけだったと思う。
自分と違うタイプの人間に対する偏見
海男のシーンを改めて見ると、主人公の心を開く気のなさに涙が出てきてしまった。全部嘘。相手をいわゆる『仲間と集ってバカ騒ぎしているチャラ男』という型にはめて偏見を持って、見下してるんだろうな。
(私も似たような面があるのでめちゃくちゃわかる。外面はニコニコしているのでもっとたちが悪い)(あのシーンはけっこう怖い。大声で罵倒されてもおかしくない態度だったからハラハラした。海男、結構大人な対応だったと思う)。
まああれは極端だけど、自分の気持ちを(言うことはできていなくても)正直に態度に出せる強さというのもあると思う。私は結構人に良く思われたくて、特に初対面とかだとむっちゃ気を遣うところがあるので(と書いたけれど、昔は私もあんな感じだったかもしれないな…社員旅行とか…)。
最近になって、人間って0か100じゃないなあと思うようになってきたかもしれない。劇中のピエール瀧も、最初の印象は気持ち悪くて(無理!)と思ってしまったけど、最終的にはいい人の印象だったし。
100点満点の場所はなくても、行動で近づけることはできるのかも
主人公ちゃんは信頼できる人を見つけて、自分の身の上をぽつぽつと話せるようになって本当によかった。
めちゃくちゃ疑って疑って、やっと気を許せそうかもしれないって思ったんだろうなあ。
地方都市ではお金の件さえなかったら、ふたりは一緒にいて、あの場にいたのかな。
それも『いてほしい』って、一言言うだけでよかったんだよね…。どっちも不器用だね…。
1人でも気が合う、一緒にいられる人がいたら、仕事や他の人間関係はそんなにでも、生きていけるのかもしれないな。
ドンピシャに100点満点の居場所なんてないのかもしれない。
でも、100点満点は難しくても、自分次第でそれに近づけることはできるのかもしれない。
自分の意見を言うとか、自分が好きなことをやるとか。
自分が楽しいこと、好きなことをやることで、自分の人生は生きやすくなるということを読んだ気がする。
でも、この主人公がこの先どう過ごせば幸せになるかと言われるとわからないな。
海も村も、合わない場所ではあっただろうから、そういうところで無理する必要はないと思うんだけれど、どうにかできたんだろうか。
大人しくしない、自分の意見をしっかり言うとか、そうやって生きていくのが彼女にとっての成長なのかな。
伝え方も大事だろうから、明るく「大人数の飲み会苦手なので、すみません!」とか、そういう事が出来れば生きやすくなったのかもしれない。
全然関係ない、仕事や面接についての意欲の話
私は最近バイトの面接に2件落ちたのだけど()、そういうことがあったのもあり、主人公が面接とかで何気に採用されてるのがすごいよな、と思った。
私は面接について、自分のありのままの状態で受けて落ちるなら、それはしょうがないな、ご縁がなかったんだなと運命志向的なことを思っていた。
まあそれはそれで考え方としてはアリかもしれないけど、自分の行動で採用の確立が上がることもあるよなと思う。「経験ないけどがんばれます」とかそういう態度をちゃんととるとか。喫茶店のシーンでも、早起きできるか聞かれて、はい慣れてますと言ってるしなあ。
わざわざ面接を受けるくらい、そこで働こうという意志があるなら、その職場が求める態度を取るべきかもしれないと、最近になって思ってきた。
まあ正直、お金に対してあんまり危機感がないから必死になれないとか、そういうのはあるのかもしれないな。主人公はマジで生活が懸かってると思うので…。ホームセンターの面接のシーンも見てみたい(映画を参考にしようとするな)。