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お金のためにがんばれない

クライアントとのやりとり自体に少し疲れてしまって、イラストの受注を二週間ほどストップしている。
しんどいと感じたことを減らすための改善はもちろんできるのだろうけど、そこに取り組むモチベーションすら今はない。
単純に絵の仕事自体に飽きてしまっているのかも。

「飽き」もそうだけれど、自分の感情面を優先してしまって、お金のために動くことや人の目に触れるための努力が出来ない。という話をしたい。


集客やお金のために動くことができない

例えば、Twitterのフォロワーを増やすための努力とか。すごく苦手。
「人にどう思われるか」ということではなくて、自分に素直に生きられているかというところを重視しているのだと思う。

仕事以外の趣味のイラスト(ファンアートなど)を発信するにしても、「自分の中に打算はないか?」「たくさんの人に見てもらいたいがために描こう(書こう)としていないか?」と確認してしまう。自分の「好き」を疑ってしまう。本当にめんどくさい性格だと思う。
(個人的にはINFPの「F」の部分に当たるのかなと思っているけど、ちゃんと勉強していないのでわからない)

こんな風に打算の有無を考えてしまうようになったのも、個人で仕事をするようになったことプラス、絵を仕事にしてからな気がする。
『絵についての発信=仕事』に直結するところなので。

元々そんなにしょっちゅう絵を描いていたわけではなかったけど、たまに夢中になって映画やドラマの登場人物を描いたりしていた。
その時は純粋に楽しんでいたと思う。

↑ブレイキングバッドにハマってた時のクリステンリッターの絵。

ただ、発信の方向を「自分と好きなものが似ている人とつながりたいからやる」という気持ちに持っていくと、いささか楽になったことも思い出した。
そうすると本当に好きなものしか描かなくなるし、打算とかはなくなるような気がする。


SNS自体の空気が変わってきている

SNSの使い方が変わってきているのはよく感じる。
始めた頃は本当にどうでもいい日常のことばかりだったのが、ビジネスに利用されることが増えて、雰囲気自体が変わってきてしまったような。

人柄が見えるどうでもいいつぶやきとか、自然体な人が好きだけど、それではお金にならないのだろう。
人を惹きつけたり、何か知見になったり、有益なことを発信することがお金になりやすいのだろう。
変わらずに使っている人もいるのだろうけど、なんだか殺伐としてきているなあという感じがする。
人が増えるとそうなってきてしまうのかな。


折り合いをつける必要があるのかも

ありのままでいたいけれど、生きていくのにお金は必要。
折り合いをつけるのが難しい。

改めて、どうなりたいか、どんな風に生きていきたいかを考える必要がありそう。
自分が思い描く理想があるのなら、妥協やその姿になるための努力は必要と自分の中で納得できるのかもしれない。

そもそもSNSって、個人でビジネスをやるにあたって必ずしも必要なのだろうか。
近道にはなるのかもしれないけれど、自分に不信感を感じながらやるくらいなら、無理にしなくてもいいのではないだろうか。
打算的にならなくても、金銭を得ることはできるような気がする。どうするのかは分からないけど。


おわり

最近思ったことでした。
読んでくださってありがとうございます。
生きづらいながらもどうにか生きていくぞ。


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