アートで語り直される「わたしたちの街」ー百年後芸術祭@袖ケ浦公園(2024/3/31)
XF60mmで公園を撮り歩きに来た時のこと。
車を停めて園内に向かう道中、「百年後芸術祭 内房総アートフェス」ののぼりに出くわしました。
地元開催の大規模アートフェスということで気にはなっていたんだけど、もう始まっていたのか! ていうかここも会場だったのか! 知らずに行き当たるとはなんともラッキー。
というわけで、袖ケ浦公園に4つある展示のうち、3作品を観てきました。以下、感想を綴っていきます。
「SKY EXCAVATER」金泰範@アクアラインなるほど館
袖ケ浦市は東京湾アクアラインの片端を担う街なので、公園内に「アクアラインなるほど館」という紹介施設があります。校外学習で来たなあ懐かしい。
こちらが今回のアートフェス会場のひとつになっていました。
入口で鑑賞料300円を払って展示スペースへ入ると、なにやらベニヤで囲われた構造物が。
踏み抜かないかとおっかなびっくり脚を踏み入れると、レトロフューチャーなコクピットのような空間が広がっていました。
セットをよく見ると、ベニヤやコード、基盤のほか、タッパーだの歯ブラシだのヘアドライヤーだの無数の日用品で構成されています。なんとまあ見事に見立てたもの!
ぱっと見SF、よく見ると日用品というギャップの面白さ、正月に観に行った「ストランドビースト」を思い出すなあ。(これの記事も書かなくちゃ……)
コックピットの画面に当たる部分のパネルには、アクアラインの構造図や海中トンネルを掘ったシールドマシンなど、普段「アクアラインなるほど館」で解説されているような内容が表示されています。
ただ、その中に東京湾の地盤はそのゆるさから「マヨネーズ層」と呼ばれていたとか、人口爆発への対応のため鋸山を核爆弾で爆破してその土砂で東京湾に人工島を建てる構想があったとか、冗談みたいなものもあって、なるほど虚実入り混ぜたアクアライン史を紹介しているんだなと思っていたんだけど、帰宅後にネットで検索したらどっちもマジの大マジだった。無知ですみません……。
ネオ・トウキョウ構想の存在自体初めて知ったし、常日頃利用しているアクアラインがそんな冗談みたいなプロジェクトの末に成り立っていたというのはかなり驚き。
でも言われてみるとアクアラインも、首都圏の海底にトンネル掘って都市を拡張するってなかなかとんでもないプロジェクトだよな。小規模ながら人工島も建ってるし……。
そう考えると、東京湾アクアラインプロジェクトって、かつて人々が夢想した未来(=レトロフューチャーが)実現した姿と言えるのかも。
もっと思考を広げていくと、たとえば宇宙旅行のような、いまは冗談としか思えないような未来も、百年後にはアクアラインみたいにより現実に即した形にアレンジ&チューンされて実現するのかも……なんて思えてきたり。なかなか面白い展示でした。
ちなみにブースの出入り口には、工事現場の詰め所のようなスペースが。
壮大な夢物語は、現場での地道な作業があって初めて実現するもの。忘れちゃいけない視点だな。
「たぐり、よせる、よすが、かけら」大貫仁美@旧進藤家住宅
「なるほど館」を出て道なりに進み、芸術祭の立て看板に従って階段を登っていくと、市指定文化財の古民家、「旧進藤家住宅」に行き当たります。
こちらが二つ目の会場。
庭一面に突き刺されたガラスの破片に少々面くらいつつ、顔を寄せて観察してみると、呟きのような、手紙の切れ端のような取り止めのない言葉がプレパラートのように収められています。
うーん? 意味深な言葉の意味を考えながら敷石を辿り、行き着いた屋敷の入り口には、レースのトルソーが鎮座していました。おお。
「どうぞ上がって見ていってください」と係の方に促され、そろそろと靴を脱ぎ拝見する。
近づいてよく見ると、トルソーというよりガラスとレースと金継ぎのラインで構成されたランジェリーですね。
繊細で複雑な素材感も、女性の身体を模ったフォルムもとても美しいけれど、傷つき破れた抜け殻のようにも見える。
周りに脱ぎ散らかされた靴下やショーツも、殻の破片や瘡蓋のように見えてくる。
そういうモチーフを見ると、安直かもしれませんがどうしたって傷ついた女性や、抑圧された女性を連想してしまうわけで……作品を見ているうちにふと、「この家にも、もしかしたら日々の暮らしの中でそういう思いをしていた女性がいたのかもしれない」なんて想像をしてしまった。
その時初めて、「この家に実際に人が暮らしていた」という事実をきちんと実感できた気がしたんですね。子供のころ校外学習で訪れた際に学んだ「昔のくらし」の登場人物の一人ではなく、ひとりの女性の感情や苦悩を思い浮かべることができた。
なるほど、庭に散りばめられた言葉たちは、過去の住人たちが溢したかもしれないつぶやきや思念の欠片ということか。
もちろんこんなもんは現代人の勝手な想像でしかないし、進藤家の皆さんには大変失礼で申し訳ない妄想なんだけど……でもアートによってかつて暮らしていた人々への想像が掻き立てられるって体験がとても面白かったな。「場」と「作品」のマッチングがめちゃくちゃキマってたと思う。
重厚な黒い板張りの床と繊弱な白のランジェリーという組み合わせも質感や色の対比が鮮やかでシンプルに美しかった。
「未来井戸」東弘一郎@下池外周路
なんとなく一人合点しながら階段を降りていくと、道沿いに鉄骨製の水車のようなものが見えてきました。こちらが三つ目の作品。
地元民なのでキャプション見ずとも「あ、上総掘りだ」とピンときました。人力で回して井戸を掘る掘削機械ですね。本来は木製で、園内にも確か再現されたものががあったはず。
それを鉄骨で作って、「未来を掘る井戸」としたわけだ。過去の技術で未来を掘る。うーん、シンプルで、わかりやすくてカッコいい。
なんかステップがあって登れるし、実際に動かして地面を掘れるようだけど、壊したらおっかないのでやめておいた。動いたらもっとかっこいいんだろうな〜! 掘削体験会とかあるらしいです。
……とまあ、春を探しに散歩に出てアートに行き当たるという不思議な体験をしてきました。
美術館で現代アートに触れる機会はこれまでにもあったんですが、今回、地元が舞台となったことで、日頃から見知ったもの、当たり前のようにそこにある施設が、アートの文脈で語り直されることで違った一面を見せてくる……という経験ができたのはかなり新鮮でした。
現代アート、面白いかも。