面白くないものを見限る力
大学生にとって、悩みの種は小さいながらたくさんあるが、わたしを先週悩ませていたのは哲学のレポートだった。
その哲学の講義は、主に現代の哲学の歴史を説明するもので、「意味とは何か」とか、「目的とは何か」とかいった心の働きを難しい言葉で再定義していた。最初は、人間の心とはいかなるものかを知らずには人間として生きていけないと思ってやる気に満ち満ちていた。しかし受講しているうちに「なんだか難しい森に迷い込んでしまったな」と思っていた。
それから半年経ち、いよいよ期末レポートを書くという運びになった。むろん、半年間のオンデマンド授業だけでは完全に理解できるはずもなく、ちんぷんかんぷんなまま自分の考えを書けと言われて困り果てていたのである。
とにかく情報の収集が第一だと考えた私は、自転車で15分ほどの大きな図書館に行くことにした。その図書館に行けば世界中のあらゆることを知れるという全幅の信頼を寄せているからである。
何事も後回しにする癖のある私は、すぐに哲学書のコーナーにはいかず、興味がある情報系の棚のあたりをぶらぶらしていた。本棚には「ディープラーニング」やら「Pythonで自動化」みたいないかにも最先端な感じの本が並んでいて、まるで自分が世界の最先端を牽引している感じがして気持ちよくなっていた。
ふと傍のベンチをみると、もう初老になったおじさんがプログラミングの入門書を読んでいた。
一般的なイメージの「おじさん」は、古いものに固執して安定を重視するタイプの人間だ。私も「おじさん」に対してそうしたイメージを持っていたし、自分が年を取るとそうなってしまうのだろうと思っていた。
確かに学ぶのに年齢は関係ないのは間違いない。しかし、いくつになっても学び続けるという姿勢はなかなか続けられるものではない。
その初老の男性は未来に期待しているのだ。まだまだ人生の歩みを止めないつもりなのだ。私は我に返り、ここに何をしに来たか思い出した。こんなところで油を売っている場合ではない、ありがとうおじさん。
その時おじさんは言った「なんだこの本、面白くねえ」
おじさん、あんたにはどこまで未来が見えているのだろう。あんたの見る未来はきっともっとワクワクするテクノロジーがいっぱいなんだ。
私はあんたについていく、そしていつか言わせてほしい「なんだこのAI、面白くねえ」。