見出し画像

『これぞ我が銃、我が愛銃』第12話「ドミナントオリーブ」

『死の直前の不可解な行動』
『笑顔の裏でいつも悩んでいた札野さん』
『なぜ? どうして? 自死へ至った理由を徹底考察』
『独占激白! 家族との金銭トラブルを実弟が語る』
『死亡時刻の疑惑 他殺説も?』
『選んだ死に場所は一番お気に入りのスポーツカーだった』
『ファンの悲痛な叫びは止まらない 献花台にあふれる花束』
『練炭の危険性を専門家に聞いた スタッフによる実験報告』
『あの頃からおかしかった! 現場での奇行を共演者が証言』
『札野紗佐恵さんを偲ぶ 幻のデビュー作を追悼放送』
『彼女の死で明らかになった芸能界の闇』
『死なないで! 事務所社長がファンへ訴えかける』
『写真集や出演ドラマのビデオが高値で取引 十万円を超える物も』
『札野特需で一番トクしたのはどこだ?』
『さようなら 札野さんお別れの会は明日』

・・・
 
「参ったな」 
 京香はひとりごちた。一年ぶりの喪服に袖を通した際、裾に白い丸がいくつか点在しているのに気づく。玲子の通夜の日、初めて会った春奈とカフェでコーヒーを飲んだとき、跳ねたミルクが付着していた。一度着ただけだからクリーニングに出さなかったことを後悔したがもう遅い。水や洗剤で軽くこすり洗いをするも、白丸は完全に定着し離れない。やむをえず京香はマジックで黒く塗り潰した。

・・・
 
「篠塚、来てたのか。それに小野里さんも」
「君も?」
「ああ、面識はないけど。二人は会ったことあるんだよな」
「うん、私は一回だけ。春奈さんは……とにかく、私たちは来るべきだと思って」
 京香は春奈のことにはあまり触れたがらなかった。憔悴しきった表情の春奈を見た次郎もそれを察する。
「トニーさんと持田さんはどうしても抜けられない仕事があると言ってたし、三人で並ぶか。しかし、すごい列だ。通夜と葬儀は家族と近親者だけだったことも関係あるんだろうな」

 黒づくめの三人は最後尾を目指し、時間をかけて歩く。参列者の中には喪服姿もいれば、カジュアルな格好の者もいた。学生服を着た少年少女たちも多かった。春奈が着たブラックフォーマルのワンピースがシワ一つない真新しい状態であることを知り、今日このために買ったのだろうと京香は推察する。二月の寒さに耐えるため、ロングコートを羽織っているが、普段は黒系の服を好まない彼女のことだから、その黒いコートもこのためにそろたのか。以前から持っている黒のチェスターコートを着込む京香はそう思った。

「僕は正直、トニーさんと今日は会いたくなかった。札野さんが亡くなってから二回会ってるけど、平気なフリして心はズタボロに裂けてるのは見え見えだったから。ここにいたらと思うと……」
「札野さんは長谷川さんの事務所に在籍してたんだよね?」
「出会いは知らないけど、事務所に入る前からの知り合いだったみたい。まだ売れる前の札野さんがいた事務所が、給料の未払いやセクハラが常態化してるひどいところだったらしくて、そこからトニーさんのところへ移った。トニーさんもマネージャーだった頃で、俳優とマネージャーの関係でいいコンビだったそうだよ」

 春奈は二人の会話に入ることはなかったが、一語たりとも聞き逃すまいと耳に意識を集中させていた。ワイドショーは見るに耐えず、週刊誌は当然、読むに耐えない代物だったから、信頼がおける者たちによる札野の話題は安心して聞くことができた。

「でも、また移籍しちゃったんでしょ。今度は大手の」
「理由はよく知らない。ただ、仲違いしたとかではなかったと思う。例のエステのCMで札野さんが一気に売れちゃって。仕事も急増したそうだけど、トニーさんの事務所は当時、バラエティ色が強かったから、札野さんの望む芝居の仕事をなかなか持ってこれなかったみたい。その辺が理由なんじゃないかと思ってるけどな。前に一回、やんわり聞いたんだよ、トニーさんに。そしたら、あの人はこう言ってた。『コンビ組んでた警察犬が気づいたら狼になってた。おれに狼は扱えない』」
 列は少しずつ進むが、葬儀所の入り口はまだ先だ。前方で誰かが泣きわめく声を三人は聞いた。その声は猿の叫びにも、急ブレーキでタイヤがこする音にも思えた。

・・・
 
「お疲れさまです。ええ、そうですね、いまから帰るところです。春奈さんも一緒ですね。え? あ、はい。聞いてみます」
 京香はPHSを保留状態にし、春奈のほうを向く。コールセンター業が染みついているせいで、PHSであっても毎回わざわざ保留にする癖がついていることは周囲でも知るところだった。
「持田さんから連絡が来てて、これから事務所に行けるかって」
 春奈のうなずきを見て、保留を解除する。
「大丈夫です。ええ、わかります。じゃあ、そちらで合流します。はい、失礼します」
「呼び出しか? じゃあ、僕は帰るとするか」
「うん、また連絡するよ。そういえば、私の番号伝えてなかったね」
 京香は春奈に借りたメモ帳の一枚に自身のPHS番号を書いて次郎に渡した。

・・・
 
 人混みの中でも彼女はすぐに見つけられた。いつもと変わらず、茶色のワークキャップを被ったラフな服装で立っていたからだ。
「すいません、私はお別れの会に行けなくて。現場のほうでトラブル続きだったんです」
「長谷川さんもお忙しいみたいですね」
「あー、どうなんでしょう、室長は。あの日以来、仕事のほとんどを他の人、まあ私なんですが、に任せて、なんかぼーっとしてますよ」
「そうなんですね……ところで、今日はどうしたんです?」
「ちょっとした事務手続きです。第四弾のビデオの書類関係で不備がありまして。お手数ですが、もう一度サインをいただければ」
 
 事務所は寂しいものだった。常駐するスタッフはもはや片手で数えられるほどになり、移籍先が決まっている二名の在籍タレントも契約上の残りの仕事をこなすだけとなっていた。
「書類は室長の机にあったと思います」
 持田は自分を先頭に京香、春奈を従えて〈スペシャルルーム〉に入ろうとしたが、足を踏み入れた瞬間に立ち止まる。ドアノブをつかんだまま、開けた扉を微かにも動かさず、もう片方の手でうしろに合図をした。『静かに』と。部屋の中が伺い知れずに困惑する京香と春奈。二人に構わず、持田は音も声も発しないよう慎重な足取りで入っていく。扉を支えてほしいと京香にドアノブを託す。
 京香と春奈も沈黙の中、それを見た。こちらに背を向けた姿勢で執務机の椅子に座る長谷川が、左手に握りしめた銀色の自動拳銃を自身のこめかみに突きつけていた。二人は同時に息を飲む。持田は抜き足差し足で彼に近づいていく。その動きは忍者か、殺し屋か、はたまたバラエティ番組のドッキリ仕掛人か。シリアスとも、お笑いとも受け取れる珍妙な動作だった。息遣いすら聞こえず、耳に入るのはエアコンの送風音だけ。机を挟み、長谷川の真後ろに到達した持田はいっとき彼を見下ろしてから瞬時に事を成した。右手で彼の頭を下に抑えつけ、それよりほんのコンマ数秒遅れるかたちで左手を使って拳銃を取り上げ、そのまま口元に近づけ、歯でセーフティレバーをロック状態にする。長谷川の安全を確認した持田は彼の頭を解放し、拳銃のグリップから抜き取った弾倉をうしろに放り投げ、薬室に残った一発もスライドを引いて排出させた。一切の無駄のない、鮮やかな一連の動き。京香と春奈は呆気にとられ、何が起きたのかすぐには理解できなかった。

「お、おお。なんだ、お前か。ここはどこだ? 地獄か?」
「天国ではないですよ」
 長谷川の顔は無理矢理に起こされた寝坊助を思わせる。持田以外の存在には気づいていない。
「これ本物でしょう。なんでこんなの持ってるんですか?」
「芸能事務所だったら、拳銃の一丁くらいあるだろう」
「ないですよ。いや、あるかもしれないけど。とにかく、何やってるんです?」
「いや……なんか、ふわーっとしてて。ちょっと太陽が」
「ここ窓ないでしょう。まず顔を洗ってください」
 持田は机上のコップに入った透明な液体を彼の顔面にぶっかけた。熱さに飛び上がる長谷川。
「ああ、すいません! 水だと思ったんです」
 チノパンのポケットからハンカチを取り出し、彼に渡す。拭いてやることはしない。
「殺す気か! 多少、ぬるくなってたからよかったけど」
 滑稽な振る舞いでわめく長谷川。
「謝りますけど、でも目は覚めたでしょう。これは預かっておきますからね」

 持田は床に捨てられた弾倉と、薬室から排出された弾丸を拾い、それらをダウンジャケットのポケットにしまう。スライドを戻した拳銃はチノパンのうしろに差し込み、ジャケットの裾で隠した。
「さあ、ここは出ましょう。書類のことはまたあとで」
 持田は京香と春奈を促し、部屋の外へ押し出した。出ていく前、頭だけを部屋の中に覗かせ、長谷川に声をかけた。荒らげる調子で。
「一回は止めましたよ! 次はないですからね!」

・・・
 
 ひどい悪臭だ。生ごみと死んだ魚の臭いが鼻を刺し、不快にさせる。持田の運転する社用のバンに乗った三人は、たとえ夏場であっても海水浴客は訪れないであろう無人の海岸に来ていた。陽の光が役目を終え、闇の中を徘徊する住人たちを照らす月に、監視の任を引き継いでいた。波はそれまで穏やかだったが、予期せぬ三人の来訪者たちを警戒してか、打ち返す波は荒くなり、月光も幾分、輝きを増したように見えた。

「ここなら大丈夫でしょう。撃ってみます?」
 持田は子供が爆竹でイタズラする程度の気軽さで言い、拳銃を二人に差し出した。彼女らは首を左右にぶんぶん振る。
「断って当然ですよね。音楽アーティストが拳銃の不法所持で逮捕とか、世間の皆様をお騒がせしちゃいますから」と持田はおどけてみせた。
 春奈がメモ帳とペン、それにライトを取り出す。京香は春奈のライトを持ち、ペン先とその下の白紙を照らす。
「『鉄砲、使えるんですか? さっきの事務所のあれ、すごかった』」
 持田は読み上げた。事務所を出てから初めての質問だった。車中、三人はずっと黙っていた。
「いやあ、それほどでも。あの人、左利きじゃないですか。うしろに立った私も左手で銃を取り上げなきゃいけなかったので、やりづらかったですよ。本当はもっと早くできたのに」持田は残念がる。
「十分、とんでもなかったと思いますよ。どうやって覚えたんですか?」
「私は特殊部隊の出身」
「ひえ!?」
 京香は間の抜けた声を出して面食らう。春奈も無言だが口を開けて驚愕した。
「と言ったら信じます? いいじゃないですか、なんでも。前にみんなで台湾料理を食べたとき、室長が言ってましたよね? オリジンやバックボーンを明かすのはよそうって。誰にだって、泣ける笑える身の上話はあるんですよ」
「あの、長谷川さんのこと。大丈夫なんですか?」
 長谷川の話題を持田が口にしたタイミングをここぞとばかりに逃さず、しかし、おずおずと京香は聞いた。
「え? まあ、どうでしょうね。とりあえず一回は止めましたから」

 持田は月光に照らされる二人の腑に落ちない顔を見て、やれやれといった表情を作った。
「前に彼から頼まれたんですよ。ええっと、言い回しは違ったかもしれませんが、確かこんなことを。『もし、おれが間違ったことをしようとしてたら、お前の判断で止めてくれ。一回でいい』とかなんとか。だから止めました」

 持田は海へ向かって歩く。ダウンジャケットのポケットから取り出した弾倉を拳銃のグリップに収めたところで立ち止まる。そして、両手でしっかり握った銃を顔の位置まで掲げてから銃口を下に向け、首を少し傾げた直後に高速の射出音を連発させた。波打ち際に漂う空気の抜けたゴムボールは八連発すべてを食らう。発砲音は波音でかき消されたが、春奈らは周囲をきょろきょろ見回す。この犯行現場を誰かに目撃されていないかと。

「やっぱり、私にはシグ・ザウエルじゃないと合わないな」
 持田はひとりごちたあと、二人の元へ戻ってくる。
「じゃあ、帰りましょうか。遅くまでつき合わせてしまい、すみません。書類の件は、後日あらためて連絡しますね。あ、銃のことは大丈夫です。うまくやっておきますんで」
 闖入者たちが去り、海はまた静寂を取り戻す。月は引き続き、闇の至るところをサーチライトよろしく照らし、監視を怠らないようにしていた。

・・・
 
 通帳を開くのはいつも気が引ける。預金残高の数字は毎度、春奈に現実を突きつけた。長谷川の事務所に所属してからも月給はそう高くないため、生活はできるにしても貯金は思うように増えない。だが、この日の残高は彼女を初めての感情で驚かせた。これまでリリースしてきたビデオの印税が入っていたのだ。実際は春奈個人ではなく事務所を経由した金の流れで、彼女の取り分はたいしたものではない。
 しかし、月の手取りで二十万円以上の収入を得たことのない身では大金に感じられた。金のことで思わずニンマリしてしまう自分に若干の嫌気がさすものの、純粋に嬉しかったし、ありがたかった。これまで贅沢に興味はなかったが、ビデオの衣装合わせで様々な衣服を着用したことで、きらびやかな装飾やデザイナーズブランドのよさを実感し、そういったファッションに金を費やすことの意義を理解できた。
 今回、まとまった額を手にしたことで、ブランド品の購買欲求が膨らんだ。それだけではない。築年数は古く、駅から遠く、壁は薄い安アパートからの引っ越しなど、いままで切り詰めてきた生活のあれやこれやの改善にも欲が及ぶ。それに発声障害のリハビリにも無理せず通える。磯谷にはまだ答えを出せておらず、今後のことを真剣に考えなければならない。銀行を出た春奈は、将来のことを思案しながら駅へ向かって歩き続けた。途中、何度か視線を感じるも、気のせいだろうと思った。この日も、念のためにサングラスを着用している。

「Letterさん? 口パクの人ですよね?」

 好奇の目を向ける、見ず知らずの若い男にそう話しかけられた春奈は全身から血の気が引き、目の前がじわじわと濃灰色に塗り潰されていく過程を眺めていた。

・・・
 
 安全地帯へたどり着くまでの逃走中、ポケットから何度も伝わる振動には気づかなかった。どこに逃げ込めばいいのか。家? 事務所? 京香さんのところ? 誰もやってこない場所。そうだ、あそこしかない。春奈は走り続けた。途中、あの聾唖の店員が働いていたカフェの前を通ったが、意識することはなかった。その店がすでに潰れていたことも、そのときは知らなかった。
 
 最後に訪れた日から何も変わっていない。考え事をするときや、ただぼんやりしたいとき、いつも自分を迎え入れてくれた〈ふれあいパーク〉。よかった、今日もこの公園には誰もいない。
 ブランコに腰を下ろすが、不思議と小さく感じられた。とりあえず、ここで心を落ち着かせ、頭を整理しよう。そう思った矢先に振動を感じ、恐怖で縮み上がるが、PHSのメッセージが受信したことの知らせだったと気づき、安堵する。送り主は京香だった。受信件数の多さが事の重大さを物語っていた。

(第13話に続く)

#創作大賞2024 #お仕事小説部門

いいなと思ったら応援しよう!