
人が人を応援するとは
人が人を応援する時とはどのような環境にある時、もしくは感情をもつ時かを考えてみます。
単純に人柄だけで、とはならないと思われます。何らか大義というべき高い志、孤独をも厭わない信念、他者と向き合う勇気。自己保身とは違い、身を何か目に見えない高邁な精神に捧げると言っては大仰ではありますが、そうした姿勢にある人を自分にはできない事を代弁してくれる存在へのリスペクトがいつしか応援という形に昇華されるのだと考えます。
分かりやすい例えで言えば、所謂ステイツマンを意味する(ポリティシャンではなく)政治家には元来、その対象に相応しいものだとされたイメージが強くあります。
そこで応援をスポンサードするという意味合いで考えると、応援の定義は非常に純粋な思いを前提にしたものだということが分かります。
ギブアンドテイクではないのです。
ミニマムな組織形態が家族だと思います。家族の誰かが何かの目的遂行の経過にある時、献身的に支えようと努められる筈です。
他にもスポーツ選手は該当します。
文化系だと音楽家、芸術系統に該当する方も同様の対象でしょう。
先ほどと重複しますが、自分が真似できない事、遠く及ばない能力を持っている方に憧憬の眼差しを人は送る、引いては応援したくなる、それも自分が興味をもてるジャンルであれば尚更となります。
この動機がやはり私は下心のない純粋な思いで応援するという行為であって欲しいと感じるのです。
仏教で三輪清浄という教えがあります。
布施をする際、施す人、受ける人、施される物、それぞれが清らかであることを意味します。
この世の中は経済というフィルターを通して社会活動が成立する実在があります。すべてがバランスなのですが、応援という行為が如何に純粋性を伴うものか、解析していくと人間の営みにあって実は生理的な欲求に近いものでもあると読み取れるのです。
そこに澱みが見えるとき、バランスは崩れます。自分が充たされないと自覚する瞬間です。
『漁港口の映画館 シネマポスト』で推奨する特に邦画群にはそんな隠された思いも秘めています。
先日1月18日、19日と現在上映中の『ピアニストを待ちながら』『のんきな姉さん デジタルリマスター版』七里圭監督をお迎えしての舞台挨拶がございました。



七里監督、お越しいただきました皆さまに感謝申し上げます。

2024年/日本/61分/
配給 インディペンデントフィルム
『のんきな姉さん デジタルリマスター版』
2024年(初公開2004年)/日本/87分/DCP(オリジナル35mm)/
配給 charm point
『ピアニストを待ちながら』
村上春樹ライブラリー(早稲田大学国際文学館)の開館記念映画として製作された短編をもとに、村上春樹ライブラリーで全編撮影された劇場公開(ディレクターズカット)版。なぜか真夜中の図書館に閉じ込められた5人の男女。彼らは芝居の稽古を始めるが……。出演は、「バジーノイズ」の井之脇海、「かくしごと」の木竜麻生、ドラマ『余命一年の僕が、余命半年の君と出会った話。』の大友一生。監督・脚本は今年デビュー20周年となる『眠り姫』の七里圭。
『のんきな姉さん デジタルリマスター版』
姉との禁じられた愛の記憶を小説に書き、雪山で自殺しようとする弟と、聖なる夜にオフィスで残業する姉。その二人の現在に、記憶=小説がフラッシュ・バックされていく。雪山と都会、現在と過去という二つの時間が溶け合う瞬間、弟のささやく声は物語の全てを宙づりにする・・・。七里は長編映画デビューにあたって、敬愛する山本直樹の同名漫画を原作にし、その漫画の霊感源、唐十郎『安寿子の靴』、森鴎外『山椒大夫』までも射程に収めた。夢のような物語を綴る淡い光とゆらめく影は、名手たむらまさきの撮影。35mmフィルムならではの温もりある質感を、渾身のレストア作業で可能な限り再現したデジタルリマスター版。
【『幽霊はわがままな夢を見る』上映情報】
『幽霊はわがままな夢を見る』の上映は来週1/23(木)まで!
— 小田原シネマ館 | ODAWARA CINEMA | 公式✨ (@odawara_cinema) January 16, 2025
パンフレットも取り扱いございますよ!
お見逃しなく!✅ https://t.co/k4UW7ilosR