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少し間が空きましたnoteの投稿になります。なかなか立て込んでしまい文章を推敲していく余裕が生まれず、今日に至ります。

現在、『漁港口の映画館 シネマポスト』では8月23日(金)までドキュメンタリー作品『ジョン・レノン 失われた週末』が公開されています。

本作品のテーマ的素材について、魅力的な人間と純粋という概念をイコールで並ばせた時、その持続性は永遠の道に連なるか否か、ふとそんな事が思い浮かんできました。

‘純粋’そのままでは社会通念がままならない改善への方策として、あるレベルまで純度を濁らせていく…それは大人の階段を登ったことにもなるとか、調和が見出しやすくなるとの様々な理屈があります。
理屈が生じるのは所謂、一般常識にあてはめようとする意識を優先するからだと考えます。
なので純度が高いままだとぶつかりやすくなる傾向から社会通念上、外れていると見なされるのです。
この社会通念をどこか通俗的な言い方で‘大人の事情’という言葉があります。
つまり正論は横に置き、あるヒエラルキーの維持が優先されます。

こうした一般的とは異なり、あくまでも純度が高く、才能豊かであればその存在感はやはり魅力的に他なりません。
まさに周囲との調和よりも自然とマイペースに世の中に煌めきを放っていくのでしょう。
相対的に社会問題と芸術家はコインの裏表のようでもあります。現実と逃避の関係に近いのですが、かと言って全く意識しない事ではなく意識するが故に芸術表現に昇華できる反動に繋がるのも確かな事なのです。
純粋という概念をアイデンティティにする意味では宗教家も該当します。

人は純粋でありたいが故に葛藤し、ある妥協を受け入れて生きる選択をする…概して現実の前に圧迫されがちです。
そこで冒頭の疑問について考えます。
魅力的な人、純粋、持続性、永遠の道。
結果としてそれらを連なる媒介的作品の有無が全てだと思うのです。
勿論、第三者が感動できる作品です。
作品が人格に値します。

実は人ではなく作品に普遍性を透過していた事実に気づきます。

皆さんは映画から何を感じられるでしょうか。

【漁港口の映画館 シネマポスト 現在公開作品の紹介】

ビートルズのファンには周知の事実ながら、本当の事情はよく知られていないことがある。ジョン・レノンとオノ・ヨーコが別居していた「失われた週末」(The Lost Weekend)と呼ばれている18カ月間のプライベートな日々のことだ。その時期、ジョンはどこで、誰と、どんな生活を送っていたのか?
ジョンとヨーコの元・個人秘書であり、プロダクション・アシスタントを務めていた中国系アメリカ人のメイ・パン。
これまでは単なるスキャンダルやゴシップの類として我々に伝えられることの多かった「失われた週末」。ジョン&ヨーコというポップカルチャーの巨大な神話に遮られ、歴史の陰に隠れていたジョン&メイのラブストーリーを、メイ本人が自分の口で「私の物語」として語り始める。50年の時を経て、今明かされる真実の物語。それがこのドキュメンタリー映画『ジョン・レノン 失われた週末』である。

2022年製作/94分/アメリカ
原題:The Lost Weekend: A Love Story
配給:ミモザフィルムズ




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