連続ドラマの可能性
NHK朝の連続テレビ小説は時計がわりの様に、視聴しようがしまいが午前8時のタイミングでの習慣と化しています。
面白かった、名作だと自分だけの物差し基準において、どちらかと言えばNHK大阪制作の方が印象に残りやすい作品が多い気がします。それはフォーカスする人物や時代背景がドラマ様式美に則るケースを、視聴サイドからは安心というファクターを生み出すからでしょう。
先日終了した『おかえりモネ』はNHK東京制作です。これまでに無い敢えて言えば壮大な3本の軸をテーマに描かれたと私は受け止めました。
・東日本大震災
・地方創生
・自分探し
非常にどれもがセンシティブな様相を呈する為に扱い方の難しさを痛感させられました。
さらに、その3点に加えて物語がリアルタイムに近い時間軸で進行する展開もチャレンジな作品でした。
ここからは、私見評価となります。
最終週のパートに至るまでのドラマディテールと感情移入にもっていく全体構成について、実は大方の別のドラマでも言えるのですが演者の力量頼み、力量の差が説得力を生み出す場面を作れるか否かにかかっている点が昨今のドラマ作品では多く見られます。つまり脚本が若い(練りきれていない例え)故に詰めずに完成稿に回してしまい、背景の美術力や劇伴を強化、編集を駆使して、結果演者の力量如何に左右されるという荒業が目立って仕方がないのです。
総じて若手とベテランでその違いは顕著になります。
その意味では演者側にやや同情的であるものの、キャスティング的に局と事務所との政治的な要素があるかはさて置き、演者側にとっては名前を売っていく最大のチャンスの場として、力量発揮にはもってこいにも関わらず、空回りにしか見えない演出と見受けられるならば、根本は脚本の不味さにあると私には映るのです。
しかし、ベテランになればその不味さを味にもっていく応用力があります。彼らベテランの方々は口を揃えて思っている本音があります。‘良いホン(脚本)で芝居をしたい’ということなのです。彼らの思いとは別に、テレビドラマはベテランの力量に依存していることが現状です。
今回の朝ドラはそうした展開の塊を表すシークエンスが多く私には感じられ、辟易しつつも最終週まで持ちこたえたところ、最後の最後で脚本の大逆転ホームランを目の当たりにしました。これがあればこそ本論を書き綴ろうという動機となったのです。
ラストシーンを解説します。
モネを残して東京に戻る婚約者の医師の菅波。
その間に時局は新型コロナが経過し、設定は別れのシーンから数年後のテロップ。
再開する二人。「やっと会えたね…2年半」と菅波。モネは「もういいですよね」と二人は抱擁。そして一言「先生、本当にお疲れさまでした」二人、浜辺を手を繋いで引きからの触れ合う手元の寄りでカットアウト。完。
モネから菅波への愛情表現が何千万人への視聴者へのメッセージでもあり、実際の医療従事者への労りの言葉でもあるというトリプルミーニングで締めるこの大団円に、恐らく偶発性も想定していたとしたら凄いと思うのですが、これまでの本編のモヤモヤを吹き飛ばす脚本と演出に感嘆したのです。
文字で起こすと安易に見過ごしな光景に解されるかもしれませんが、新型コロナの単語を用いることなくリアルタイムを描く試みとして、私には十分に受け止められました。
3本の軸を本作品では‘再生’に収斂させていく方向に苦慮したと推察しつつも、長丁場で制作する貴重なドラマ番組であるが為、期待し過ぎてしまう思いで『おかえりモネ』にはかなり厳しい評価としていましたが、終わり良ければ的な改めて最終回の重要性を感じた、連続ドラマの可能性について考えさせられた作品でした。
朝ドラを観る習慣とは別に朝ミュージックも自分的にはあります。
『オール・シングス・マスト・パス』 は、1970年11月27日に発売されたジョージ・ハリスンのスタジオ・アルバムです。
朝の音楽に最適な一枚。一曲目の「アイド・ハヴ・ユー・エニイタイム」を聴きつつ歯を磨いています。