他人の空似というべきか、世の中には自分とそっくりな人が3人いると聞いたことがあります。
先日、企画書作成で特定の媒体の情報収集をしている最中、関連サイト動画にかつての部下にそっくりな人、否その人としか言い様がない人物がその媒体に登場していると断定したのです。‘コイツから生の情報を聞く事ができれば、企画にリアリティを加える事ができる!’と終業時間を待って連絡をする事にしました。
着信履歴を残して、別件の打ち合わせに入っていた折、折り返しの連絡が入ってきました。
「つかぬことを訊くけど…」
「…んな訳あるハズないでしょ、この忙しいのに」
「どう見ても、自分にしか見えなかったんだけどね」
「私がそんなのやるタイプに思えないでしょう」
「ノリというか、勢いでやってしまう可能性はあるかと思ってね…違ったか」
「ですね」
こうして書くと一体何の媒体か気になる処ですが、或るボランティアみたいな、無くてはならない地域貢献みたくとご推察ください。
こうして、久しぶりのかつての部下との対話は私のただの勘違いに終わってしまったのですが、改めて関連サイトからかつての部下に似ていると断定されてしまった人物が登場している動画を視聴するも、やはり似ているとしか思えず、とにもかくにも私の思惑は水泡に帰したと実感した次第でした。
山本文緒原作の『ブルーもしくはブルー』をふと思い出しました。テレビドラマ化もされたその作品はドッペルゲンガーをテーマに人生を入れ替わるという若干SF的なスリリングで且つ切ないストーリーです。ドラマ化以前に私がギャガ・コミュニケーションズ在籍時に映画化企画があり、企画書を作成した事があったので、作品を読了し記憶があります。
その作品ではお互いの憧れの実現の為に、容姿が激似している点を武器にそれぞれの生活環境を入れ替えるのです。その試み、発想が面白く、従来型の映画『転校生』から連なる男女の魂が入れ替わるストーリーとは異なる、もしかしたらあり得るかもしれないというリアリズムを軸に他者の生活空間に侵入していくストーリー展開が白眉でした。
その作品でも同様なのですが、あくまでも第三者からみて羨むものであっても当事者でしか分からない心の有り様、生活へのスタンスと人間関係があり、悩みは各人のステージによって異なる事が推察されます。結局、自分の人生は自分が決めた事によって現在が成り立っている事に違いはありません。ワイドショー的ゴシップな見方の常習者は自身に疲弊している自覚症状の表れ、人生の黄色信号の点灯です。
先ほどの『ブルーもしくはブルー』では自分に似た人への興味からの接近が一つの投げかけではありますが、本稿における或る動画から勝手に2人の人生を見ていっているような、それぞれの世界を生きている運命や出逢いとは何なのか、2人はもしかしたらこの同一居住地域で遭遇することはあるのだろうかと、具にもつかない妄想に駆り立てられながら、現時点も企画書作成に勤しんでいる自分がいます。
いよいよ夏の到来近し…この季節にヘビーリスニングの一枚。
ウェイン・ショーター『ネイティヴ・ダンサー』1975年に発表したスタジオ・アルバム。
ブラジル音楽の至宝、ミルトン・ナシメントを迎えて作られた傑作。
仮想のリゾートへ誘ってくれます。
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