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少なくとも22歳頃まで…実は役者に憧れていた、職業としてなりたかった時期があったのです。

高校時代は志望大学も日本大学芸術学部演劇学科を目指して励んでいたにも関わらず、学費の高さと受験教科に社会科が無いからと断念するも、上京できれば何とかなるのではないかという楽観的な未来展望さえありました。

そして大学三年生の折、「週刊ぴあ」の広告で発見した或る芸能プロダクションのオーディションに応募し受験したところ、研究生として合格したのです。入所料やレッスン料とそれなりの金額だった記憶があります。さしあたりバイトでどうにか遣り繰りしていたのだと思います。

講師の方は確か土曜ワイド劇場を手掛けた脚本家の方や大河ドラマ等数々出演歴のある舞台演出もされるバイプレーヤーの方だったと記憶しています。

憧れの芝居の勉強ができると意気込んでいたのですが、滑舌を良くするレッスンに結構時間を割かれていたように思います。印象的だったのはエチュードと云われる即興芝居の稽古が毎回のルーティンでした。

エチュードは毎回異なって面白くもあったのですが、良し悪しの判断は当然講師の方に委ねられるので、その方の感性を受講者は絶対的信頼に置かないと学ぶ事にはなりません。

とある受講時のエチュードは登場人物は2名。何かを告白するという設定で演じる状況だったのですが、私の番になり他の人とは違うことをしたいと思ったのと、自分が見たい感覚を優先した結果、告白する役の私は共演者の方を向かずに背中で話す形を試みたのです。そこで講師からたしなめられました。「告白するのに、何故相手を見ない」
「相手を見ないで話すというのも、あるかなと思いまして」
「それでは、相手に伝わらないだろう、君は誰に話している」

講師の指摘を受けて、その時に初めて思ったのは、自分の中でエチュードが映像化されてカットが出来ていると実感したのです。
勿論そうした客観的な理屈は今だから俯瞰できるのだとは思いますが、撮影カメラ手前に被写体が喋って、奥なりに人がその話しを聴く構図をイメージしたのです。この方法は但しリアリズムが有るか否かは微妙な点があります。伝わらなければならない対象が誰かで芝居の方法は異なるという考え方です。舞台上の共演者か、観客か、カメラの向こうにいる視聴者か…演じるというメソッドがいかに専門性に富んでいるかが分かります。まさに今なら論理的に詰めていける事も当時は恐らく、自分の感性と違うの一点で結論を出したことになります。

結局、約半年程度でしたが研究生はフェードアウトする形で辞めてしまい、演じる事への現実と興味への減退が起きたと同時に、作る側への興味が湧いてきたというきっかけになったのだと、現在はそうした理解をしています。

もはや誰でも言われていることですが、行動して初めて自分を知る機会や道ができると、これは本当に確信に他なりません。

研究生の折、仲良くなった方で大のザ・ルースターズファンがいて益々意気投合しました。彼は大江慎也在籍時が最高と言い、私は花田裕之がリーダーになってからの後期が好きだと、共通した点は下山淳のギターは凄いと花が咲いたことを思い出しました。

写真はザ・ルースターズ『FOUR PIECES LIVE 』より

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