「ドクターストレンジMoM」で考えるMCUのこれから? /映画編#7

※以降「ドクターストレンジ マルチバースオブマッドネス」その他MCU作品のネタバレを盛大に含みます。悪しからず。。。




こないだ、サム・ライミ監督の映画「ドクターストレンジ マルチバースオブマッドネス」をTOHO新宿で観てきました(以下MoMと略します)。レーザーIMAXで観ましたが、こだわりがない限り通常版で十分楽しめます。しかしTOHO新宿の周りのギスギス感がすごい。


●雑感1

想像以上にサム・ライミ監督の個性が全面に押し出された作品でした。数多のサプライズあり、往年のホラーオマージュ多々ありで素直に楽しめる内容だったのではないでしょうか。
印象深いのは音符でバトるシーン。ジャジャジャジャーン(ベートーヴェン)!ドーン!!!!!!(攻撃)みたいな、アクション音ゲー演出が絶妙にチープで笑ってしまいました。最高。一方でゾンビやお辞儀など、丁寧な回収技も魅せてくれました。さすが。

ただ、個人的にどうしても辛かったのはワンダの扱い。フェーズ4に向けて彼女を卒業させる必要があるのは、分かる、分かるよ、でもさぁ、こんなにひどいことさせなくても良くないですか?????
などとワンダ大好きっ子としては感じてしまう訳です。

あとDisney+配信ドラマの「ワンダヴィジョン」をみていないとさっぱり意味不明だと思うんですが、どうなんでしょう。ドラマを絡ませるのは良いとして、事前の宣伝でそれを周知させておくのが筋では……


●雑感2_MCUとフェーズ3

最近のMCU作品はマルチバースものと時間移動ものを通して似たような題材を繰り返し描いています。それは、いまある現実を引き受けること

「ロキ」「スパイダーマンnwh」でも、キャラクターたちは過去をやり直すチャンス/まっさらな状態からリスタートする特別切符を一度は手にします。しかし最後には"この"現実を受け入れる決断を下しています。(過去をやり直せなくても過去は捉えなおせる、というテーゼと言い換えてもいいはずです。)これらの命題は明らかに「エンドゲーム」後にMCUは何を描くべきかの意思表明となっています。
「エンドゲーム」では結局サノスの指パッチンがキャンセルされただけで、世界がリスタートしたわけではない。そしてその修復には多大な犠牲──トニー・スタークの死──が伴った。だから今後エンドゲームのようなストーリーを繰り返しても意味がない。その先を描かなければならない。

MCUが「エンドゲーム」までで、もしくはフェーズ3までで描いてきたのは、旧時代的男性性の誇りと勝利の物語でした。ゆえに、その物語はトニー・スタークが起動し、トニー・スタークによってシャットダウンされた。
ではフェーズ4以降で前景化するであろう問題は何か?それは第一に女性性の問題、第二に悪の問題、そして環境問題をはじめとする社会問題でしょう。フェーズ4の初ドラマがワンダを、初映画がブラック・ウィドウを主人公に据えたものであったのもそのためです。(とはいえ前者は消化不良、後者はシスターフッドで解決、そして両者ともに"自殺"してしまう、と未だ完全解決には至っていません。)

だから、「ワンダヴィジョン」で子供を失ったワンダがマルチバースで解決を図る流れはフェーズスケールでみても自然ではあります。でも結局ヒステリックな母親が暴走、といった描写に終始しており、ロジック面での更新はありませんでした。さらに言えば、可能世界での対話と奇跡を通じて悲劇的な過去を再解釈する展開は、「スパイダーマンnwh」において──MJの転落と救出による、アメスパの間接的な救済──で既に描かれたもの。同時に、トラウマの解消で暴走してしまうキャラクターに向き合った「nwh」に対して、今作のストレンジはただ暴走を食い止め、傍観しているしかありません。ピーターの方がよっぽど偉いじゃないか!!!第三の眼を開いてる場合じゃないんだストレンジ!
愚痴を吐いてしまいました。「エターナルズ」の、失敗した男性性は太陽に突っ込んで_ね、な結末もそうですが、最近のMCUは過ちを犯したキャラクターをすぐ自爆させています。ジェンダー以前に、もっとなんというか、じゃあ俺はいますぐ太陽に突っ込むしかないんですね?わかりました!無敵の人!とならない解答を描いて欲しいところ。


……って「スパイダーマンnwh」で描かれていたじゃないか!!!

結論。「スパイダーマンnwh」を観ましょう。では。


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