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生きる、ということ

生きる、ということが何故こんなにも難しく大変な行為または状態であるのだろうか。

それは私にはまだわからない。

いくつかの事象を挙げてみよう。

生きるということは、夢を叶えること。
これが私が最初に考えていた「生きる」の意味だ。幼少期や青年期に私はこの夢とやらが生きる意味なのだと考えていた。夢が破れる、自分に才能がないと教えられるまでは。

次に、トルストイの「人はなんで生きるか」を読み、「生きる」ことは愛に直結することを知った。そして私の目標は、あらゆる人を愛すること、になった。しかし、あらゆる人を愛することは難しくとても困難な行為であった。
幼少期から人と交わり人との交流の中で当たり前のように誰かを思いやり、愛せる人だったら違ったかもしれない。しかし元来私はそういった特徴を持ち合わせていなかった。

そして三つ目には、魂を成長させることであった。社会人になり、病気を発症し、死を強く意識した時に、これまでも考えていた「人は何で生きるか」という問いを深くまるで拷問のように自身に問う事になった。死を意識すると、様々な宗教によって、死後の世界が描かれていることを知って、魂の輪廻転生という価値観を知った。そこで私は生きる意味は「あらゆる人生の中で自分という存在、魂を成長させる事」だと考えた。

これらの生きる意味は一体誰がどのようにしてつけたものなのか、世界が絶対的に「これだ」というものを示唆しない限り、永遠に絶対的ではないのだ。

しかし私たちは何かに縋りたくなる。本当に生きる意味を探求した際に行き着くのは「無意味」ではないかと思う。だからみな意味を探し、または意味などないと開き直って生きることが常なのだ。

誰か私に生きる意味を教えてくれ、と叫びたくなる日もあるが、こうして日々やってくる今日という日を丁寧に生き、やるべきことを淡々とこなす、今はそれが生きる、と言う事なのではないかと思っている。

あなたの生きる意味は何ですか?

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