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「パソコン創世記」序章を読む。パソコン開発は、人類滅亡の恐怖が引き金となった


核戦争による人類の滅亡。広島、長崎の原爆投下以来、その可能性はずっと続いていました。そして、今また、核戦争による人類の滅亡が、生々しいリアリティを持って迫っています。

パソコンが、原爆による人類の自滅を回避するために構想されたという事実は、あまり知られていないかもしれません。

1994年12月に出版された「パソコン創世記」 (富田倫生著)の序章「パーソナルコンピューターの誕生」は、原子爆弾の開発「マンハッタン計画」を指揮したヴァニーヴァー・ブッシュの心境を明らかにしています。ブッシュは、残酷な武器を生み出したことに心を痛め、平和の時代に科学者がなすべきことを示すために1945年7月号の「アトランティックマンスリー」誌に「思考のおもむくままに」と題する論文を掲載しました。

「ブッシュの細い希望の糸は、民族の膨大な経験を蓄積し、自在に過去を振り返りうる道具を用意することで、争いによって自滅する前に人類を進歩させることだった」(p13-14)

「光を電気に変えることで電気的にものを〈見る〉ことを可能にする光電セルや写真技術、音声タイプライターなどを統計処理分野で使われているパンチ・カード・システムのような情報処理機械と組み合わせることで、広大な知識と経験の海を発想のおもむくままに滑る道具が作れるだろうとブッシュは予測した」(p15)

「思考のおもむくままに」は、経験や知識を蓄積し、自由に取り出せる装置の必要性を強調しました。ハイパーテキストの概念を最初期に考案し、それを実現する機械メメックスを提案しています。

この論文は「考えてみるに」という日本語の題名で山形浩生氏が翻訳し、2013年にインターネットで公開しています。
https://cruel.org/other/aswemaythink/aswemaythink.pdf

海軍のレーダー技師だった20歳のダグラス・エンゲルバートは、「ライフ」に転載された「思考のおもむくままに」を読み、衝撃を受けます。人類を進歩させる仕事がしたいと考えたエンゲルバートは、レーダー技師として働いていた経験から、ブラウン管のまえで操作する自分を思い描きます。そして、メメックスのようなシステムを作りたいと考えました。

1968年12月9日、エンゲルバートはマウスを含むコンピュータ関連の発明についてのデモを行います。有名な「The Mother of All Demos」です。その場所には、「パソコンの父」アラン・ケイも参加していました。

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