SNSは機能を使いこなすと楽ちん………でもその前に気をつけたいこと
X(旧Twitter)のブロックとミュートと鍵アカとその心理についてです
Xを使っている方からの質問で
ブロックとミュートの違いってなに?
最近ブロックの仕様が変わるって見たけど…どうなの?
などを受けた。
ブロックは相手に自分のTLを見えなくする
ミュートは自分のTLに相手の更新が自動で流れないようにする
というもの。
なので
・見られたくない相手はブロック
という使い方を行い
・見たくない人がいればその相手をミュート
にすればいいだけなのでいたって簡単。
ただ、ブロック&ミュートも、相手に完全に見られないように出来る…というわけではく、自分と関係している人だけとSNSを楽しみたい人で機能面で勘違いしてる人がちらほらいたりする
鍵アカって?
鍵アカは
・自分がフォローしている人にだけ情報発信をする制限をかけたアカウント
ということになる
どれもX(旧Twitter)の機能なので、使いたい人はうまく活用をすればストレスなく活用ができるといえる。
個人的な意見として…
鍵アカの人でたまに見かけるんだけど、マイナスコンテンツ(端的に言うと悪口や不平不満)を言う場所として使うのは心理的にも良くないのであまりおすすめはしていない。
(若いとよくやりがち……30歳こえて鍵アカで悪口や不平不満を垂れ流してる人は、普段どれだけまともなことを言ってても精神的に問題ある人が多い)
若いときは自分たちの不満の吐き出せる場所って友だち周りだったり親御さんだったりして、
自分の不満に対しては基本的に共感して貰える場合が多い。
でもそれが結果的に視野を狭めることになっている場合があることも知っておくことが大切。
例えば日常生活の不満(嫌なことがあった…系)であれば共感、共有でストレス発散になるので必要に応じてどんどん発散してもらうので良いと思う(よく女子校生がマクドナルドなどでキャッキャしながら不満を言ってるようなパターン。いや大人の人もしてるか……)
しかし
対人コンテンツの不平不満はますますマイナス要因が膨らみやすくなる。
相手への不満に共有、共感をしてもらえばしてもらうほど
「自分の発言、行動は正しい。相手が間違っている。相手が悪いんだ」
と考えに自信がついてしまい「自分は悪くない」という気持ちが無意識のうちに心に内包してしまい、対立心理にもつながっていく。
これが続くと、自分の身の回りに
「自分にとって都合の良いことを言う人」
が集まってしまい、意識の拡大や汎用性の成長は止まる。
意識の拡大や汎用性が止まるということは、人間としての成長も止まってしまう。
その一方
自分の都合で、
公開アカウントと鍵アカを交互に繰り返す人に至っては、
心理面で成熟していないとも言えるかもしれない。
「見られたら困る発言をする…」という考えがあるから切り替えるわけで…
普段オープンアカウントでありながらも急に鍵アカに切り替え、一定期間がおわるとた元に戻してる…というのは端的に言うと自己中心的発想が強いともいえる。
また、第3者に見られたら困るときは鍵アカにして普段はオープンにする……というのは自己都合でしか無く
「見られたら困る発言をする」
を判っていてするわけだから極論でいうと陰湿とも言っても良いかもしれない。
鍵アカで作成したのであれば鍵アカで続けたらいいのに、
一般公開をするということは承認欲求の現れとも言える。
じゃ、
「鍵アカはどういう人が使うのが良いのか?」
って考えると、
・個人のパーソナル性に特化する
・ローカルすぎるネタで話をする
・リアルの知り合いにバレたくない
などの理由が挙げられると言っていいかもしれない
ただ今回のテーマは個別案件が山のようにあるので
「自分は違うよ」
という人も多くいるのであしからず
ストレスのためにも不平不満を言う場所が欲しい…のは分かる
じゃ、不平不満は言ってはダメなのか?
という人もいるかも知れないが、それに対しては
・オープンタイプのSNSでは言わないほうがいい
といえる
オープンタイプのSNSはX(旧Twitter)もしかり、Fbしかり。
なのでオープンタイプではなくLINEグループなどの限られた人の中でトークするのがいいとは思う
しかし
上記の通り、
不平不満の発言で自身の意識の振り幅が狭まる
ことのほうが多くり、結果的に
物事を俯瞰でみたり、配慮する…という感覚が鈍くなってしまう
ことも少なくない。
・自分は悪くない。自分は被害者だ
・相手が悪い。相手が加害者だ
という意識を持つ人ほど面倒なことありませんし思考停止に陥りやすくなる。
個人の感想はどんな発言でもいいと思いますが
作品や第3者の批評やレビューの場合は言葉を選ぶべき。
それはすべての発言においても同じ。
個人的な感情の好き嫌いは大いに結構。
でもそれをネット上で「自ら発信する」ことの理由と影響を発信する前に考えると、オブラートに包んだ発言を心がけるのが、ネットリテラシーであり配慮だとも言える。
X(旧Twitter)のブロックとミュート。そして鍵アカについて持論ではありますが書き出していみました。
ちなみに当アカウント、個人アカウトともですが
ブロック
/パーソナルアカウントは基本ゼロ。企業勧誘、宗教、出会い系のみブロック
ミュート
/パーソナルアカウントは「辛口という言い訳じみた低レベルなレビューをしているアカウント数件」以外はしていません
鍵アカ/したこと無し(見られて困る更新をしないから)
ちなみに
普段どれだけ素晴らしいことを言っていたとしても
優しい言葉を出していたとしても
行動その他でいいことをしたとしても
過去の発言や行動で人として信じられない人はいます
一例:立憲民主党の小川淳也氏
https://www.shikoku-np.co.jp/local_news/article.aspx?id=20211012000147)
要約
小川氏は「同じ野党の対立候補者の実家」に押しかけ「立候補の取りやめを進言」。直後のメディアの質問に対して「おわびするつもりはない」と発言
それから1ヵ月以上経過してから「自身の軽率な行動。反省してる」と発言しているが、
>見られ方によっては触ったらつかんだとなるし、訪ねたら押しかけたとなるし、訪問したら乱入したとなる。私はきちんと身を守らなきゃいけなかったし、軽率な行動については猛省している
と答えているあたりからして
民衆に自身をPRをし自身を選んでもらう(投票してもらう)「選挙」であるにも関わらず
「私はきちんと身を守らなきゃいけなかったし」
と自己中心的発言をしている。
それをいい大人がだ……
個人的にこういった自己中心的発言がナチュラルに出る人は信用できないと思っている。
ただし上記の情報は、個人的意見であり、
間違っても立憲民主党を全否定するのではない
SNSの使い方は簡単でありつつも難しい
一方で、今回のコラムのように
ミュート、ブロック、鍵アカといった使える機能は上手に使うことも大切
そのうえで、日頃の情報発信/更新も気をつけるのが望ましいとも言えるでしょう。