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12歳女優のラジー賞ノミネート撤回から思うこと
12歳女優のラジー賞ノミネート撤回が話題になりました
サンドラ・ブロックやハル・ベリーが実際に登壇してコメントをして沸かせたなんてころが懐かしくもあの頃のようなウィットな雰囲気がなくなったのはいろいろな理由があるとは思う
ハル・ベリーなんて、アカデミー賞のオスカー像を片手に、ラジー賞の像をもう片手にしてオスカー受賞時のスピーチをアレンジ。それはそれで大きな話題になった
そのころは、ラジー賞そのものが
どこかその作品のキャラクターを演じた俳優への、キャラクター単体へのネタであって、その俳優のアイデンティティや他の作品の演技を悪くいうものではなかったのもあると思う
しかし、インターネットはもとよりSNSがある今となっては、ラジー賞を始めとしたネタ的悪評をガチンコで受け取り、全否定をするような一般人が増えたことも否めない
簡単にいうと
映画◯◯◯の主人公を演じた☓☓の演技はおかしかったよねー
「だけ」だったのが
「☓☓の新作映画は◯◯と同じ最低な演技になるんじゃない?」
「◯◯の最低演技の☓☓の最新作かよ。観る価値ねぇな」
といったように
「ラジー賞受賞したこと=役者としておそまつ」
といったレッテル的な思い込み…というか、決め打ちをしているユーザーがある一定数いるということだと思う
ラジー賞ってもっと「気楽に笑い飛ばすネタ」であったのに、
「ラジー賞=つまらないのお墨付き」
みたいに捉えられる時代になってきたのかもしれない。
それはここ数年のラジー賞受賞作品や俳優へのパッシングや酷評。はては役者としての存在そのものの全否定的なことを発信する人がいること。
それが一般人であればあるほど過激であったり異常さであったりするのもある。
それらの発信されたワードを観た人は悪評を真に受けて、そのラジー賞受賞作品を見ていなくても「あの作品は最低だ」「あの作品は面白くない」と決め打ちをする人も多かったりもするのかもしれない。
この場合
「実際に見ていない」というのが大きな問題で、個人的感想が社会的感想に印象としてなってしまうと、その作品を見る可能性は限りなくゼロになり、イメージだけで「その作品=駄作」と勝手に言ってしまう場合もあるだろう。
それは全てにおいて間違いであり、大きな問題になっているのだと思う。
結果的に映画の評論や評価も同じベクトルでいろいろな影響を出していると思う。
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例えば、自分が観て
「つまらなかった」
までは個人の主観と好みの問題になるのだが
「この映画は観る価値なし」
「この映画を面白いと思う人は頭おかしい」
といったように決めつけで他者に観ないことを推奨したり、他人の好みを全否定するようなツイートも見かけることがある。これらはいずれも自分の主観であることを考えれば本来ならNGな発言とわかるはず。
「自分には合わなかった」「自分は面白くなかった」
だから
「映画を好きな人なら、誰もが面白くない戸思うはず」
と取れる発言は、見えない誰かを傷つけていることでもある
その映画を好きな人、好む人がいるのは少数でもいるのだから。
ただし、論評としての低評価はあるべきだし、その低評価をつけるとしてもリスペクトがなければただの悪口になってしまうことも多い。
加えていうと「悪評をいうこと=映画マニア」と思っているひとがまだまだ多いのかもしれない。これは40年以上前からよく見かけるパターン。
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ツッコミを悪評とし、重箱の隅を突く設定の甘さを悪評のネタにし、その細かな設定で作品を全否定する評論や評価を観ることはよくある。
結果的にそれが一般層の目にとまることで、興味を持っていた人が劇場に足を運ばないことに繋がり、それが興行収益が悪化。結果的に映画が作られなくなる…という可能性もゼロではない。
もちろん、
「高い映画代を払うのだから、愚策、駄作を観たくない」
という意見も尊重されるべき。
だからとして、自分がつまらないから他人が観てもつまらない
という表現は慎むべきだとも思う。
一方、
そもそも「悪評なものが時代にそぐわない…」となっているのも事実。
もちろん全員が評価で絶賛するのは絶対間違いになる。まさに周りにYesマンしか置かないことで失敗するベンチャー企業の社長のようになるだろう。
おもしろくなかったところは面白くなかった理由が明確かつ論理的であれば同調してくれる人も多くなるだろう
その一方で「素直に褒める事も大切ではないか」と思ったりする。
映画の感想と悪評と評価と論評。
これらがチャンポンになっている人も多いのかもしれない。
そういう意味では、ネットリテラシーを自分の中で磨くしか無いのだが……