『現代性犯罪暗黒編 ある通り魔の告白』
『現代性犯罪暗黒編 ある通り魔の告白』
公開 : 1969年
監督 : 若松孝二
脚本 : 出口出(福間健二)
撮影 : 伊東英男
あらすじ
「女が欲しい…女が欲しい…」福間健二演じる大学生の弘は、鬱屈とした性の行き場を求めて夜道を彷徨っていた。強姦を試みるが、臆病でひ弱な弘は最後までやり遂げることができない。そんな悶々とした日々が続くが、ある日、同じ大学に通う女の子から弘はナイフを貰った。ナイフをちらつかせてみると、まるで自分に力が備わったような感覚に陥る。力を得た弘は、欲望の赴くままに凶行を重ねてゆく…。
感想
この映画を観た感想として浮かぶことは、福間健二による福間健二のための映画なのだなあということ。当時、都立大学の学生だった福間氏の鬼気迫る演技には思わず涙を誘われた。
福間健二と言えば、個人的に詩人としてのイメージが強かったのだけど、原点は映画にあるのだと知って少し驚いた。その脚本を読んでみないとなんとも言えないが、詩情豊かな感性が映像として昇華されてる感覚だ。
内容に触れると、この映画はいわゆる連続暴姦系の作品。連続暴姦系は理屈を抜きにした物語の推進力に秩序なき映像のドライヴ感が伴った時、とんでもない傑作になる。その条件を満たした作品といえば、若松孝二による世紀の大傑作『十三人連続暴行魔』や長谷部安春による『暴行切り裂きジャック』なのは言わずもがなであるのだが、この『現代性犯罪暗黒編 ある通り魔の告白』も仲間に加えてあげたい気もしなくもない。
物語はタイトルの通り''告白''であるからにして淡々としているが、淡々と凶行を重ねるから戦慄度が増す。こういう鬱屈とした話には社会性がお友達のようにくっついてまわるが、ここでは性欲オンリー。性欲をすべての行動原理にしてしまっているから「理由なんてない」のだ。
ジャックスっぽい(ジャックスなのかな?)ダウナーな音楽が流れるなか草むらで繰り広げられる強姦シーンは少しだけ嫌な感じがする。ナイフを持った福間健二は純然たるリビドーマシンと化してしまっているから、もはや人間性など皆無で荒れ狂う狂犬にしか見えない。孤立した若い性欲は結局、犯罪に帰結する。
殺人を犯した後、四畳半の部屋に寝転がり、新聞の三面記事に目を通す。痴漢や殺人の記事を見つけ「ああ、自分だけではないのだ」と繋がりを感じてしまう辺り、犯罪者心理がよく描かれていると思った。
弱かった主人公はナイフという力を得て、自信をつけた。強姦殺人をし、快感を見つけた。しかしその先はなにもなかった。ラスト、警察による再現の現場で佇む福間健二の顔には希望も絶望もなく、荒野のように広がる虚無だけが空ろに存在していた。