『妻たちの性体験 夫の眼の前で、今…』(1980年)
(2012年鑑賞時のメモ)
かなり前に観て以来、二度目。
画面の強烈さのみが記憶にあり、筋はまったく覚えていなかった。
フランスの退廃ブルジョワ夫婦の話、みたいな味わい。
筋には妙な既視感がある。
美しい妻を持ちながら、若さゆえの肉体の美貌のみの女に溺れる男。
その妻に憧れを抱きながら、どうしても思いを遂げられない下男。
精神の愛というものは、潔いほどに一切描かれない。
肉体の愛、でもない。
ここにあるのは、階級があることで生じる欲情であると思う。
そして、そこまでだとフランス退廃映画の模倣に過ぎないと思うが、ラストの超現実的なレイプシーンが、それまでの流れをある意味ぶっ壊しながらも、映画としては描くそのテーマを突き詰めているのが本当にすごい。
小沼勝とガイラのコンビというのは、一番相性がいいのかもしれない。
夫が溺れるヌード部屋の女、高原リカ。
娼婦のような濃いメイクをしたときの白痴的美しさ。
ヌード部屋の女2人の、風祭ゆきとは対照的な豊かな肉体。
2人目の女のシーンでは、バックにジューシィフルーツの曲(ジェニーはご機嫌ななめだったか?)が流れる。
小沼勝作品の歌謡曲選びのセンスはすごいなと思う。
妻は、夫が商売女に溺れていることを知り、
狂言によって夫を女から離す。
妻は男たちに犯される。
複数の男たちに抱かれることで、妻は夫を魅了する商売女に近づこうとするようなフシがある。
妻が娼婦のようなキツい化粧と黒い下着で夫を誘惑し、アナルセックスに誘うシーンがある。
風祭ゆきが「レイプの女王」とか言われていたのは、彼女がレイプされてもなお気高さを保てる稀有な存在ゆえなのだ、ということが今回観てよくわかった気がする。
唯一、妻に取り込まれることなく去ってゆく下男の存在は重要だ。