そこにある日常
山小屋で働く友人に会いに、穂高の常念岳(2857m)にパートナーと登る。
去年は登山口からさほど遠くないところに住んでいたので、やはり8月頃に一緒に登った。
時々立ち止まって写真を撮りながら、マイペースに歩く彼の背中を見ながら、
7年前にも、ネパールの田舎道を同じように並んで歩いていたんだなぁと懐かしくなる。
電気も水道もない村の、作りかけの学校の屋上で星空を眺めていた2人は、
その後別々の人生を歩むのだけれど、
7年後にこうして、同じ安曇野の空の下を歩いている不思議。
久しぶりに会う山小屋の友人は、「山の上は酸素が薄い」と言いながらカラカラと笑い、やはり元気だった。
テント泊をした翌日、山の麓に降りると、そこは2ヶ月前まで私たちが住んでいた安曇野の町だ。
ほとんど迷うことなく、「アルプス牧場」でソフトクリームを食べて、
「しゃくなげの湯」で温泉に浸かり、「行雲流水」でラーメンを食べて、
「チルアウトスタイルコーヒー」でお茶をした。
どのお店も、私たちにとって特別な存在ではなく、どこまでも「日常」の延長にあった場所。
顔なじみの店員さん達も私たちを見て一瞬驚き笑い、近況報告をしたり、ちょっとした冗談を交わす。
あぁ、わたしはこの町に住んでいたんだなぁ。
わたしの「日常」は確かにここにあったんだなぁ。
2年前までなんのゆかりもなかった町に、
いつの間にかお気に入りの場所が増え、好きな人たちが増えていく。
わたしが今松本で文章を書いているこの瞬間にも、
山の上の日常があり、コーヒー屋さんの日常があり、海の向こうにも日常がある。
そこに住んでいるときには、なんてことない「日常」も、
いつかその場所を離れたときに、初めて愛おしく感じるものなのかもしれない。
もう交わることのないと思っていた人との日常も、どこかで再び繋がるのかもしれない。
同じ場所に2度行く、という選択をあまりしたことがなかった。
一度行ったことのある国に行くならば、知らない国に行く方を選択してきた。
でも、同じ場所に行くのもいいなって思う。
そこにあった「日常」に、もう一度会いに行く。
そこにあった「日常」に、確かに生きていたわたしに会いに行く。
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Photo by 河谷俊輔
@Shalom Hutte Azumino Nagano 安曇野での日常。目の前には草原。左手の建物を借りて、フェアトレードの雑貨屋さんkomorebi をやっていた。