「愛」って言葉を簡単に口にしちゃいけない気がする
「それは愛だよ」って言われて傷ついたあなたへ
あなたはその時、ある人からかけられた言葉や態度に深く傷ついていた。
その話を聞いた友人は、あなたを励まそうと思ってそう声をかけた。
その友人に悪意がないことも充分分かっていたあなたは、哀しい笑顔を返すしかなかった。
「その人のおかげでいろんな経験ができたでしょ。」
それもわかる。わかってる。「あたま」ではわかってる。
でも、だ。
でも、「こころ」が追いついていない。
たくさん傷ついて、たくさんじぶんを責めて、心の中はまだ涙でいっぱい。
それを、キレイな言葉で上塗りしちゃいけないって思う。
ましてや、それを他人が強要してしまったら
あなたは、その怒りや哀しみを「感じてはいけないもの」として
こころの奥深くに封じ込めてしまう。
怒りや哀しみ、やるせなさが温度を伴ってまだ「そこ」にある時、
あなたはいつでも過去に戻ってしまう。
過去をきちんと過去に置いてくるには、
「今」のあなたが、「過去」の傷ついたあなたに寄り添って、
一緒に感情を感じ尽くしてあげること。
時間はかかるけれど、過去をただの思い出にするにはそれしかないように思う。
そうすれば、あなたは本当の意味で「今」を生きられるようになる。
人がどうしようもなく悲しい時、キレイな言葉は時に哀しい嘘になる。
「愛」という言葉はどこまでも主観的で、「内側」に存在するもの。
あなたの「内側」から、じんわりそれがにじみ出てきたとき、「愛」は初めて本物になる。
誰も、外からあなたの「愛」を引っ張り出すことはできない。
だから、心配しなくていい。焦らなくていい。
今はどんな感情も、そのまま感じ尽くせばいい。
「That is love」 じゃなくて、「That was love」 がいい。
5年後でも10年後でも、あなたが今よりもっと自由に羽ばたいて、笑って暮らせているとき、
ふとした瞬間に思い出し、
あれも「愛」だったんだなぁって思えればいい。
今は「愛」じゃなくていいよ。
「愛」じゃないじぶんを責めないでいいよ。
わたしはいつも、そのままのあなたが好きだから。
おつかれさま。ゆっくり休んでね。
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Photo @八ヶ岳。まだ東京に住んでいた頃、高速バスから見た圧倒的な山の存在感。慣れ親しんだ東京から新しい街へ引っ越すことを決めた頃の、センチメンタルな夕焼け。