触れられない…その距離感こそが、真の官能。
vol.3『真珠の耳飾りの少女』(2003年・イギリス)
公開当時のキャッチコピーは、「心まで描くの…」。まさにそんな風に、もの言いたげに視線を投げてくる澄んだ瞳の少女。その眼差しは、誰に向けられたものなのか…?
このミステリーこそが想像力を刺激する。ヨハネス・フェルメールの絵画「真珠の耳飾りの少女」(「青いターバンの少女」とも呼ばれる)は、1665年頃に描かれたとされているが、その詳細は明らかになっていない。けれども、こんなにもロマンチックな想像(妄想)をしてくれるなんて、原作者トレイシー・シュヴァリエには、同じロマンチック女子としては感謝せずにはいられない。少女の視点で描かれた同名小説。まるで実在する人物かのような、リアルな心理描写で物語は始まる。そして更に美しくも、官能的な物語へと息を吹き込んだのが、映画『真珠の耳飾りの少女』である。優しい光が散りばめられ、まるでフェルメールの絵の世界に、飛び込んだのではないかと錯覚する…美しい自然光が生み出す陰影と、決して触れ合うことの無いふたりの距離が実に官能的だ。
ヤン(フェルメール)とグリートが顔料を作るシーン。物を1センチたりとも動かしてはいけないというアトリエの中、「椅子を動かしたな…」と問う。「窮屈そうで」と遠慮がちにいうグリートに、ヤンは惹かれる。触れそうで触れられない手が、もどかしさを感じる。観ているこっちはもうガマンならなくて、握っちゃいなさいよ!とツッコみたい。触れるのか…と期待が高まったところで、妻の声で緊張感がフッと溶ける演出は、素晴らしいとしか言いようがない。
もう一つはグリートをモデルに描きはじめ「口を開けて、少しだけ…、唇をなめて…」とヤンの指示に従うシーン。実際の絵と見比べてみると、グリート役のスカーレット・ヨハンソンの唇は少女の唇に似ていない。少女の唇はあどけなさが残る子供のような唇に対し、スカーレット・ヨハンソンは厚みのあるセクシーな唇だ。そんな唇に、こんなことをさせるなんて!(なめてるだけだが…)と観客の妄想力を刺激する、憎い演出だ。三つ目は言うまでもなく、耳にピアスを開けるシーン。グリートに真珠の耳飾りをつけ、絵を完成させる。耳飾りをつけるために穴を開ける痛みで涙をこぼす。その涙で唇を濡らすヤン。一度もはっきりと触れ合うことのないふたりが、ただ一度、このシーンで抱き寄せ触れる。ついに!と期待をしたのも束の間、ヤンが気をそらす…。人生でこの時ほどの溜息が出たことはない。
最後に送られてきた真珠の耳飾りの真意は…ここまでくると観客の妄想力も爆発寸前で、まるでこちらの「心まで描く」かのように、映画はしっとりと終わりを告げる。
人物の心の動きにリアリティを感じさせつつ、美しく官能的なシーンが他の映画にあっただろうか。一つ一つのシーンが丁寧に描写され、観客の目に焼きつき、フェルメールの世界を体験する。この体験こそが、真に美しい官能性ではなかろうか。私だけではないはずだ。この映画に魅了され、官能的なため息をついてしまったのは。
(2014年9月5日)
※2014年・上映会当時、会場に再現したフェルメールのアトリエ。映画の世界を体験してもらいたくて、毎回映画のアイテムを再現したり、会場演出やしていました。
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