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「押しつけ」と「提案」の分かれ道

この違いって一体何なんだろう?
最近よくそんなことを考えています。

コロナ禍が始まってからというもの、拒否している人に対して考えを強要するような場面を日常でもメディアやネットの世界でも今まで以上に見かけるようになった気がします。

当人たちは良かれと思ってやっていることだったりするから、余計に話はややこしい。

だって、究極的に答えなんてものは誰にもわからないし、「どうしたいか?」「何を信じたいか?」という点に尽きるのだと思うんです。

無関心でいるでもなく、強要するでもなく

じゃあ、他人のことには無関心でいたらいいのか、というとそれは違いますよね。

口にしないだけでアドバイスを求めている人だっているだろうし、親しい人が目の前で危ない選択をしようとしていたら止めようとするのが人情ってものです。
「人の勝手だから」と黙っていることで、防げたはずの悲劇が起こることもあるのではないでしょうか。

かといって本人が望んでないのに、いちいち口を挟めばそれはそれで嫌がらたりもします。
「私はこうするって決めてるんだから、提案もいりません!」ってね。

そう考えると、好意的に受け取られるのか、否定的に受け取られるのか、は相手によりますし、こちら側からはどうすることもできないことなのかもしれません。
同じ言葉を発しても受け取られ方は人それぞれですものね。

ただ、セラピスト・占い師という人と深く関わる仕事をさせていただいている私としては、意図せず強要と捉えられてしまうのは避けたいところ。
なので、私が何かしら自分の考えをお伝えする際には、心がけていることが一つあります。

それは、「選択するのはあなたの自由ですよ」という態度を示すことです。

断る自由を侵害しない

押しつけなのか提案なのかの違いは、本人に選択を委ねているか否かによると思うんです。
自由に選ぶ権利があることを尊重して、嫌なら断れる状況を作った上でこちらの案を伝えていればそれは提案なのかな、と。

それを感じたのは、過去に一度だけ受けた怪しげなビジネスの勧誘の時のこと。
もうこれが、押しつけの王道をいくようなものでして…。

こちらの選択の自由を一切無視して話を進め、どんなに断っても何一つ聞いてくれず、強烈に不快だったことを今でも鮮明に覚えています。

彼らの覚えたてのようなくどくどとしたセールストークを聞きながら、
「コミュニケーションの悪例として完璧だな」と逆に関心していました。
(最終的には鬼の形相で断ったので被害は被らなかったです。)

反対に、私がコミュニケーションのお手本にしているのは、知り合いのSさん。
Sさんは私にとって役立ちそうなものを見つけると声をかけてくれたり、集まりなどによく誘ってくださる方です。

このSさん、
実に提案がお上手なんです。

何かを誘う際は、必ずといっていいほど「もし興味あれば言ってね。興味なかったら断ってね。」というふうに私の判断に委ねる言い方をされるんですね。

私が断ったら、すぐに「OK~☆また何かあったら言うね~!」と、感じ良く去っていかれます。
本当に一瞬で。笑

このサラッとした対応が私にとって、すごく心地よいんですよ。

Sさんの提案なら安心して聞くことができるし、押しつけがましさなども感じたこともありません。
結果、Sさんへの信頼は年々高まり、今では「Sさんのお誘いならぜひ~」と、応じることが多くなりました。

やっぱり、必要な提案をちゃんと伝えるためにも、断りやすい雰囲気づくりが大切だということですね。

Sさんを見るたびに、提案上手なところを学ばせてもらっています。

私のまとめ

「押しつけ」と「提案」の違いを自分なりに定義して、きちんと線引きをする。

これはお仕事に限らず、プライベートなコミュニケーションでも大切なことですよね。

「知らぬ間に押しつけ行為をしていないか?」
と、時々チェックを入れることも大事かもしれません。

もちろん、本当に曲げられないことならば頑として貫く必要もあるでしょう。
特に命に関わることなら、提案などと悠長なことは言ってられませんし。

でも、それ以外のことは押しつけにならないように気をつけてみると、相手も自分も心地よいコミュニケーションができるのではないかと思うんです。
心地よさの連鎖が良い人間関係をつくり、地球全体もさらに良いものになっていくのではないかな。

扇風機の風に吹かれながら、そんなことをふと考えている今日この頃です。




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