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子宮筋腫の手術をしました⑧ 退院日
下腹部に違和感があり、2024年8月に婦人科を受診したところ、子宮筋腫が大きくなっていると診断されました。受診時の筋腫の大きさは13,4センチほど。すぐに総合病院を紹介され、2024年12月に腹腔鏡手術による子宮筋腫核出術をしました。
この記事では、手術を終え2日が経過した心境を綴ります。
退院日
術後4日目
今日で最後なのか。5泊6日に及ぶ入院生活で、すっかり規則的な生活が身についた。6時半には目が覚める。
若干の名残惜しささえ覚える。
エアコン作動音で眠れない問題は最後まで解決することはなかったが、夜中に起きてしまう頻度は少しずつ下がり、最終日の目覚めは悪いものではなかった。
傷の痛みは驚いたことに回復を感じるものであった。ベッドから立ち上がる時に痛かったはずの部位の痛みが少し治まっている。すごい、これが1日ずつ回復していく治癒力なのか。
またヒイヒイとトイレまで歩き、便座に座る・立つの動作をしているうちに、やっぱり昨日と変わらないくらいには痛いかもしれないと感じる。
ベッドに戻って一眠り、というわけにはいかなかった。退院日なのだから。
10時から10時30分までの間に退去を命ぜられていたので、朝は割りかし忙しかった。
まずは、窓の外の景色を目に焼き付ける。晴れの日も雪の日も眺め見下ろした窓からの景色も最後だ。
そして、朝食が来るまでにミッションを課す。また売店へ行くの巻。スポーツドリンクが底をついた。減り具合が便秘への恐怖を表わしている。
昨日は地獄のように遠かった売店も、今朝はほんの少しだけ速度を上げて向かうことができた。
売店は、我ら北海道民が誇るコンビニエンスストアが入居している。
今日も点滴を下げる車輪がついたアレと共に参上。点滴のアレを転がしながら店内をウロついた昨日は、品出し中の店員さんに若干嫌がられた。今日も邪魔者扱いされるだろうかと、そそくさと退散しようと脇目も振らずレジに向かおうとしたら、店員さんに「大丈夫ですか?お大事に」と声をかけてもらえた。名札を見るとやはり店長さんだった。店の長は配慮が違うなぁ。
部屋に戻り、さっそく買いたてのスポーツドリンクで喉と体を潤す。朝食が来るまでベッドに入り、しばし休憩。朝のニュース番組をぼんやり眺める。
この数日前に有名な元アイドルさんが亡くなったため、そのニュースで持ちきりだ。
ぼんやりしていたところに主治医が来てくれた。入院中の最後のご挨拶となる。退院日だけど大丈夫そうかと優しく声をかけてくれる。私も、ようやく子宮筋腫と向き合うことができ、術後は少しずつ筋腫について調べていた。聞きたいことはないかと尋ねてくれたので、思い切って聞いてみた。「筋腫が大きくならないように気をつけられることってあるんでしょうか?」
筋腫はまず原因がわかっているものではなく、気をつけようがないそうだ。太っていようが痩せていようが筋腫は大きくなるときはなる。一番にできることは、バランスの良い食事と適度な運動。まずはこれに限ると。
術前は、そんなことを言われても分からない、何か秘策を教えてほしいくらいに思っていたが、今ならその説明は納得できる。適切な時間に、体にとって適切な栄養のある食事を取り、運動も適宜取り入れることが、入院前には頭で分かっていてもできていなかったのだ。
それが入院生活5泊6日で改善されようとしていた。食事の時間を守ることの体への負担のなさも身にしみて感じていた。
筋腫を大きくさせないための具体的な対処はないけれど、処置タイミングを見計らうことも重要だと話していた。今、私は38歳で目立つ筋腫を手術で取り除いた。次に大きくなるとすると47歳頃だと仮定し、その時は手術をするか閉経を待つかの選択もできる。
日々不安に苛まれながら過ごすよりも、年齢や家族計画を考えたうえで筋腫との付き合い方に向き合うほうが得策とのことだ。大きくなる時は、なる。
主治医が言うには、私はもう少し早く受診しても良かったそうだ。初診で13〜4センチと言われた筋腫も、レルミナ服用で8〜9センチほどまで縮んだ。それでも大きいと言われるのだ。今回お世話になった病院では、この大きさでも腹腔鏡でいけたけど、他病院なら開腹だっただろうとのこと。病院ごとの実績により、手術への取りかかり方が変わるそうだ。
筋腫を小さくするために飲んでいたレルミナもこれにて終了。最長3ヶ月ほどで放っておいて生理は来るらしい。あとは前向きに、元気に過ごしましょうね!と言ってくれた。
そしてもう一つ、病理検査書はもらえるのか聞いてみた。知人の旦那様が病理医で、もらっておくといいよと、以前にアドバイスをくれたのだ。万が一、別件で他の病院にかかる時などに役に立つこともあるそうだ。だが、そんなことを言い出す患者はいないようで、渡せるかどうか確認してみるとのこと。書類の扱い方がどうなるか分からないが、そもそも自分の体のものなので駄目ということはないでしょうとのこと。
気になっていたこと全てが消化されたところで、最後の朝食が運ばれてきた。今朝も選択式メニューでパン食。クロワッサン、ミネストローネ、スクランブルエッグ。ちょっとしたカフェじゃないか。
ミネストローネにクロワッサンを少しずつ浸しながら食べる。トマト味が染み込んだジャガイモも美味しい。
まだ強めの痛み止めは飲んでいたので、胃の調子も完全ではなかったが、美味しいし最後だし、ぺろりと平らげた。
さてここからはパッキングだ。持ち込んだ私物を洗面台や棚の中から取り出し、入院初日の逆再生をしていく。
巡ってきてしまった入院生活を、どうせなら味わい楽しみ尽くしてやろうと意気込んで持ってきた物の半分ほどは、手をつけることはなかった。荷物はもう少し軽量化できたかもしれないが、その予備があったからこそ最後まで安心で過ごすことができたと捉えよう。
昨夜、入眠のために開けたティーパックにお湯を入れ、退室まで紅茶の素敵な香りで芳香した。
退院の荷物持ちとして加勢してくれる母も登場。
看護士さんも来て忘れ物がないかのチェックと、肝心なアレを取り外した。
ずっと右腕にしていた患者番号の腕輪。遊園地などの1日入場パスみたいなやつ。最後にハサミでチョキンと切って、これで本当に終わったのだ。その手枷が外れた時はかなり嬉しかった。
このまますぐに退室できるのだが、今朝看護士さんにお願いしていた退院後の痛み止め薬の処方がまだ来ない。
来るまで部屋にいて大丈夫ですよと、30〜40分ほど待ち、ようやく届いた。退院後の薬追加が欲しい場合は、もう少し早めに申し出ると良かったんだな。
お世話になりましたとナースステーションに向かって挨拶をし、牛歩でエレベーターホールに向かった。入院患者以外はいったんここで待たされるようだが、知った顔の人が座っている。これまた偶然にも仕事関係の人に出会う。奇しくも奥様が同じく子宮筋腫の手術で今日から入院されるそうだ。入れ違いだがここで顔を合わせたのも何かの縁。。人との結びつきは本当に不思議なものだ。
会計を済ませ、タクシーを拾う。6日ぶりの外界に感動する余裕もないくらいの暴風雪。この日の天気予報は晴れのはずであったが、風速4メートルくらい観測したそうだ。
病院からほど近い、兄の家にいったんお邪魔して昼食を食べる。兄が午後休を取ってくれて自宅まで送ってくれるというのだ。ありがとう、ありがとう。
兄は快気祝いでもとマックを買ってきてくれたが、強い方の痛み止めもまだ飲んでいるため胃の調子も優れず、推しだというサムライマックは5分の1程度食べるだけにとどめた。
自宅までの道中、数日分の食材を買い出しする。アクエリアスも忘れずに。
6日ぶりの我が家はとっても冷え切っていた。早急にストーブの火を入れる。「動かないと回復が遅くなる」と頭にたたき込まれいたため、すぐにゴロゴロはせずに荷物を片付ける。
退院後は自宅内でもどれだけ動けるか少し心配していたが、困ることはそれほどなかった。ハンディクリーナーはかけられるし、靴下は時間をかければ履くことができた。
母が作って持たせてくれた赤飯とおかずを楽しみに、夕食時間まで片付けをしながらウロウロしているとインターホンが鳴った。
なんということでしょう。入院手術を伝えていた知人が海を越えて快気祝いの花を贈ってくれたのだ。
少しでも長く持たせたいので、寒い玄関に飾る。さっきまで寒々しかった部屋が一気に華やいだ。
退院時にエレベーターホールでの偶然も相まって、人との縁は本当に素敵なものだと思い直した。
まったりとした気持ちで夕食を食べ、痛み止めを飲んでおく。そろそろウトウトし始めたので、寝る準備をする。普段はストーブを消して寝るが、今日はセーブ運転で付けておくことにした。若干微熱気味だし、6日間も常時暖房運転でぬくぬくと過ごしていたので、今ここで急に風邪を引いてもマズイと思った決断だ。
寝心地がまるで違うマットレスに身を埋める。うっかり背もたれを調整しようとしてしまった。もうパラマウントベッドではないのだ。
今朝よりも寝返りを打つときの痛みが緩和されているのを感じながら、ぐっすり眠りについた。