
子宮筋腫の手術をしました⑥ 手術2日後
下腹部に違和感があり、2024年8月に婦人科を受診したところ、子宮筋腫が大きくなっていると診断されました。受診時の筋腫の大きさは13,4センチほど。すぐに総合病院を紹介され、2024年12月に腹腔鏡手術による子宮筋腫核出術をしました。
この記事では、手術を終え2日が経過した心境を綴ります。
なんだかんだで、術後の谷ともいえる日だ。
入院4日目。
術後2日。
もう問題なく立って歩いて良いらしいが、まだまだおっかなびっくり状態。
朝イチで看護士さんが血圧やらを測りに来た時に「綺麗な朝日ですよ!カーテン開けときますか?」と聞いてくれた。
朝日やら夕日やらを趣味でも撮り続けてきた自分が、せっかくの入院イベント朝日シチュエーションを見逃すわけにはいかない。
腹痛にヒイヒイいいながら、朝日を眼前に拝む。スマホのカメラにもおさめた。
思ったよりも感動は薄い。高校時代に通い詰めていた駅をこうして見下ろし、入院しながら朝日を見ることになるとは。あの頃はこの大病院の存在すらもあやふやだったのに。
そうこうして、朝食が運ばれてきた。
クロワッサンとクリームシチューだ。なんていい匂いなんだ。このメニューは術前に選ぶことができ、地味に楽しみにしていた。米食が続いていたので、迷わずパン食!
クロワッサンはしっかり温かい。パンが温かいだけでものすごく豪華に感じた。味もバッチリ、パン屋さんも顔負けな味わい。
この朝食が思わぬ誤算。まあ結果オーライではあるが、この朝食がお通じに良くも悪くも影響した。パンだったせいか、胸焼けのように胃が痛むのだ。これが米食だったら少しは違っていただろうかと少し後悔した。
まだまだ傷が怖くて起き上がるのがやっとだが、尿意も多分限界な気がしたのでトイレへ。
こんな痛い思いをしてトイレに立たなくちゃいけないなら、まだ管が入っていてくれたほうが良かった。いや、邪魔な管が取れて良かったんだけども。
立ち上がりは良くても、トイレからベッドに戻る頃には若干のふらつきと胃痛。なんだこれー、間髪入れずに痛み止めを効かせてる副作用か。
入院記を記録しておきたかったが、この日の午前は捨てた。眠ることにしよう。
少し眠れたが、起きても胸焼け。無視できない尿意と、おそらくもうそろそろ達してくるであろうお通じをやっつけようと、またヒイヒイとトイレに立つ。
尿意のみ。ガスが出ず苦しくなってきた。傷の痛みかお腹の張りか、どちらの不調か分からず不安が立ち込めてくる。
ベッドに戻る頃、昼食が運ばれてくる。
こ、これは、術前の元気だった頃に選んでいた、五目素麺だ。それも付け合わせは、はさみ蓮根揚げだ。健康時ならペロリと平らげそうなほど美味しい。
胃腸の不調により、残念ながら五目素麺は5割食べたところで終了。
便秘を恐れて固形物は控えて水分がぶ飲み作戦に移行しようとした。
看護士さんが、夕食前になってもお通じがなければ下剤使いましょうとのこと。頼りたい。今は力まなくて済むものなら全て頼りたい。
胃腸の張りがそうさせているのか、傷がしんどい気がする。満腹ついでにまたもや眠る。
この時、看護士さんが気を利かせて切れていた暖房を入れ直してくれた。が、暖房のお陰で、この眠りのターンの時は起床後汗まみれ。暑い、暑すぎる。
掛け布団はタオルケットと薄手のもう1枚があるのみ。この2枚だけでとても暖かくなる。こんなに薄手なのに。
そしてついに、入院後初めての洗髪をする(介助付き)。実に3日ほど洗っていなかった。
入院前にはケアも含めて美容室に行っておいた。入院中の6日間もろくにケアができないとなると、かなりダメージを負いそうなので、珍しく先回り行動をしておいた。それはもちろん正解で、洗髪後は甘めのドライヤーでも十分しっとり仕上げられた。
なんだかんだしているともう17時だ。久しぶりにお笑い番組などを垂れ流しながら、やっと入院記を記録し始める。入院生活なんて美味しいネタ、もう二度とない(もう入院は御免だ)ので、細かに記録しておきたかった。
それも、もしも次に誰かが子宮筋腫で初めての入院と手術をすることになったら、少しでも役に立てる手記を残しておきたかったからだ。
自分がその立場になった時、同じ境遇を経た数人の家族知人たちには本当に感謝している。
どれだけ痛いのか、持ち物はどんな感じか、些細なことも聞き出せたから、かなり助けられた。
あーそろそろお腹すいたなー。
ちょうどいい頃に夕食が運ばれてきた。夕食は選択式の中にはなく、病院サイドのおまかせメニュー。さておかずは何だろう?このプラスチックの食器フタを開けるのもささやかな愉しみになっていた。
おお、今夜は豚肉のチンジャオロース。卵スープがまた食欲をそそる。酢の味付け海藻サラダは、酢が胃にダメージを与える感じがして、完食は控えた。