食べる男もかわいい エッセイ編
昨日勢い余って下記のようなタイトルで書いてしまったので、「これは男性編、小説編も続けなければ…?」と勝手に使命を感じている昼下がり。
しかし、今まで小説を読むときに「ものを食べるシーン」をあまり意識せずに来たために、小説編でこれがいいよねって言うのが思い浮かばない。
なので、先に男性作家のエッセイ編をつづけたい。
父の趣味で、開高健さんや辻静雄さんといった昭和の大作家、グルメと呼ばれる方々の書籍に囲まれて育った。お歴々のこだわりは正直、「なるほどわからん」というものも多いのだけれど、私が万年筆や革製品を熱愛し、特に仏壇と呼ばれるクラシックなデザインや重くて厚い革に心が動くのは、十分に影響を受けた結果だろう。
そんな父の本棚の中から、一番手に取ったのは、つまりは好きで繰り返し読んだのは池波正太郎さんの『男の作法』だ。
エッセイって言うのは、「※ただし個人の感想です」という柱脚が必ず付くものだと思って読むので、『作法』と銘打たれているからと言って盲目的に従ったりしない。
ここだけの話、田舎の小娘とうに過ぎたこおばさんが生意気なことだけど、「池波のおじさんはそんな風に思うのネ」くらいの感じで読んでた。(読んでた時は紛れもなく田舎の小娘だった!)
池波さんも、はじめに、で「私の時代の常識」と特に強調していらっしゃるので、間違った読み方ではないはずだ。
『男の作法』が好きなのは、締めるところは締める、緩いは緩いで良い、と池波さんの緩急が実感しやすいところだ。『男の作法』は、文章として書かれたものではなく、編集者との対話をおこしたもの。会話調の文体なので、とても読み易い。そのうえ、対話相手の編集者の発言も括弧書きで本文に書かれているのだけれど、その感覚もすごく身近で共感できるものである。
もう一つ、好きなのは目次だ。目次と言うより、各章のタイトル。
いずれも各章本文からの抜粋なんだけれど、その一文だけで、この人と一緒にご飯いったら教わることと発見が多くて楽しいのだろうな、と夢想できるのである。
「食べる男もかわいい」というタイトルから逸れてない? とツッコミが入りそうだけど、食べること一つにもカッコつけなきゃいけないと思っている男性はかわいいのです。一周廻って、もう通ぶる必要がないと達観した方々も、かわいいのです。
男の人が食べることを書く、というのは、食べることに対して強い執着があるように見える。女性の食べるエッセイは生活に根差したものが多いように思うけれど、男性の食べるエッセイはどこかに食べに行くものが主流だったんじゃないだろうか。(2010年以降は、そうでもないかも)
食べもののエッセイというのは、ものすごく難しい文章の一つだと思っている。本来なら、目で見て鼻で香りを確かめ、食感を耳で、舌で味わうものだから。どれも、文章だけのエッセイで伝えるは無理がある。
無理があるから、名作の食べるエッセイは、ずっと残り続けるんだろう。
私のもう一つの、男性作家の食べるエッセイは、林望さんの『イギリスはおいしい』だ。
イギリスに美味いもん無し、は今も変わらず定説である。
いつだったか、イギリスに短期留学した女性が何も食べられなくて激やせして帰ってきた、という話をネットで読んだことがある。
心から、可哀そうに、と思う。リンボウ先生のエッセイを読まずに行ったのね…と。
イギリスはおいしい。
数年前のことだけれど、ちゃんと実体験があることも念のため言っておく。
イギリスには美味しいものがたくさんある。
確かに日本と同じものが食べたい、というのは無理があるけれど、食文化は異文化交流の最たるだし、それこそ「イギリスを食べる!」という気持ちで行くと日本にはない美味しいものがたくさんあった。
この、「イギリスを食べる!」という気持ちを抱かせてくれたのが、『イギリスはおいしい』である。
本文でも書かれているけれど、イギリスで主流のりんご、コックス・オレンジ・ピピンは本当に美味しい。日本で手に入らないのが本当に悔しい。
日に日に記事が長くなっていく。
できれば、1000字程度にとどめたいと思っているのだけれど、書きはじめるとそっちのけになってしまう。
最後に、食べるエッセイのアンソロジーで好きな奴をひとつ紹介したい。
文春文庫『もの食う話』である。
基本は随筆・エッセイ集だけれど、水木しげるさんの漫画も収録されている。なんでもあり感がいい。
フルコースに見立てて、34人35本の作品が収録されている。
(内田百閒さんが2本入っている)
私が好きなのは、「サラダ」の章。
私の知っているサラダとは違って、ちっとも軽くない。