見出し画像

9歳で自殺を考えた話

これまでに17回ほど引っ越してきたけど一番辛かった引っ越しは日本からポルトガルに引っ越した時だった。小学2年生になるまでに引っ越すと言われていたのに、なぜか小学2年生の二学期まではいた。運動会の1〜2週間前に引っ越すことになって、最初は一緒にダンスや組体操の練習をしていたのに近くなってくると外されるようになったのが辛い思い出。スポーツが好きな私にとっては運動会は学校イベントの中で一番好きだったのに行けなくて悔しかった。

一緒に暮らしていた母側の祖父母と離れて、ポルトガルにいる父側の祖父母の家にやってきた。住む場所はまだ決まっていなかったため、少しの間お世話になった。祖父母所有のぶどう園でぶどうの収穫を手伝いながら、いつになったら引っ越すのだろう… どんな場所に引っ越すのだろうと不安に思っていた。


出発日

そして、祖父母の家を出ることにはなったが、行き先はアパートホテル。そこで引っ越し先を探しながら1ヶ月ほど滞在した。今思えば1ヶ月は短いけど、いつになったら学校に通えるのか不安になりながら過ごす毎日は長く感じた。

そして、やっと引っ越し先が決まった。海から徒歩2分ほどの1LDKのマンション。小学校は海辺の崖の上だから2階の教室はオーシャンビュー。夏は観光客で溢れる素敵な町。そういえば、当時はまだ村だった。側から見たら素敵な場所へ引っ越せて幸せな人生を暮らせているように見えたかもしれないけど、いじめと孤独で死を考えるほど内心は辛かった。

2年ほど通った小学校

「中国に帰れ!」
「日本なんだけどな…」
テレビでるろうに剣心を見るくせにそこを間違えないで欲しいと思いながら腕を掴まれながらぐるぐるぶん回された。この程度のいじめは慣れっこ。たまにやり返していたくらいだった。でも、それは1人だけを相手してる時で、さすがに複数の子たちに立ち向かうことはできなくて逃げ切ろうとした。でも、捕まっては腕を掴まれて髪の毛を引っ張られながら私の住んでいたマンションに連れて行かれて壁に向かって突き放された。ざらざらした壁に耳にあたった感触は紙やすりみたいだった。私は泣きながら部屋に戻ると母親にどうしたかと聞かれて、起きたことをそのまま話した。

「もっと強くなりなさい」
慰めてくれるどころか怒ってるように見えた。私が弱かっただけなのか… と思いながらと理不尽なことを言われた自覚はあった。痛い時に痛い、辛い時に辛いって言って泣くことがそんなに悪いことなのか。納得できなかった。

素敵な町だったのは確かだった。海が綺麗で鮮やかな街並みは本当に素敵だった。なのになんでこんな気持ちでいるんだろう… 崖の上から素敵な景色を眺めながら、その素敵な景色と自分の気持ちのギャップの大きさに絶望して、崖の下を覗いてみたくなった。塀の向こう側に立ち入って崖のギリギリのところまで近づいた。

自殺を考えた場所

下を見ると数十メートルの高さのある崖の底が波に打たれるだひに激しくばしゃーんと音を立てていた。ここから落ちたら崖にぶつかるのかな。綺麗に海の中に落ちるのかな。飛び降りたらちゃんとしてるのかな。色々考え始めた。

日本に帰りたくてもいつまた帰られるのかわからない。そう思うと息が詰まって飛び降りたくなった。でも、私には可愛い黒猫が家で待っていた。その子を置いて去ってしまったら親はその子をどうするのだろう。捨てることはなくても誰かにあげて、また別の場所へ引っ越すだろう。いいお家に恵まれたらいいけど、もしシェルターにあげてしまって里親が見つからないまま殺処分されたらどうしよう。まだ死ぬわけにはいかない。


愛猫ナティ

しかも、ここから飛び降りても失敗して怪我するだけで障害を負うことになるかもしれない。ちゃんと死ねたとしてもマリオみたいにクリアするまで同じコースを繰り返されるように、同じ人生を繰り返すことになるかもしれない。そう思うと飛び降りようという気持ちはなくなった。

戻ろうとしたら成人男性が私に向けて何か叫んでいた。でもポルトガル語がまだ流暢ではなかったので聞き取れなかった。たぶん「そんなとこで何してんだ!危ないだろ!」的なことを言っていたのだろう。

親はその歳で私が自殺を考えたことがあることを知らないだろう。だから、私は息子の気持ちに寄り添える親でありたいと思っている。私も息子のことを全てのことを知ることはできないけど、いじめにあったと教えてくれたら思いっきり抱きしめて「教えてくれてありがとう」と伝えて息子の味方でいたい。気持ちが少しでも楽になるように寄り添ってあげたい。それが本当に起きた時に実際にできるかは別として、そうしたいと思っていて自分の最善を尽くしたい。


この場所に息子と一緒に戻ってきた

最終的にその問題と向き合わないといけないのは息子で、代わりになって向き合うことはできないけど、向き合えるための土台を作ってあげたい。こうして私は息子を通して自分の過去を癒そうとしているのかもしれない。でも、そうだったとしても親と同じように息子を突き放すようなことはしたくないということだけは確か。

そして、子どもだからすぐに開き直るだろうとか、子どもの気持ちを軽く見たくはない。9歳で自殺を考えることだってあるのだから。

私が飛び降りることを考えていたことを親が知ったら、もっと優しくしてくれたのだろうか。もう少し真剣に私の気持ちに寄り添ってくれたのだろうか。私が私の気持ちに寄り添えるようになるための試練でしかなかったのかもしれない。

生きることを選んでくれてありがとう。
あの崖の高さだったらちゃんと死ねなかったかもしれない。そして、歳を重ねるたびに色んな死に方について考えるけど結局タイミングと運はあると思う。感覚過敏がひどい時は死にたくなるけれど、耐え凌ぐようにしている。その時が来るまでの暇つぶしを楽しむしかないと諦めがつくようになって、確実に死ねる方法を考えないようになった。

そして、今の自分は死にたいという気持ちから程遠くて、わりと人生を楽しめている。感覚過敏は落ち着いていて、活気に溢れている。いつか死ぬから好きに生きようというマインドで生きれるようになってきた。これからが楽しみ!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?