手
わたしの娘はまだ1歳3ヶ月なのに、もう4度目の風邪を引いている。5度目かもしれないが、忘れてしまった。
えくぼの浮いたもみじ饅頭のような手で、目を閉じたままわたしを一生懸命に探すのがとても可愛らしい。熱を出して寝込んでいる相手に「可愛らしい」は不謹慎かもしれないけれど、可愛らしいのだ。本当に。
まだおしゃぶりの外れない娘を眺めながら、わたしも幼い頃おしゃぶりがやめられなかったという話を、母親から聞いたことを思い出した。
わたしの指しゃぶりは小学校に上がるまでやめられず、ついにはカラシやわさびを塗ったらしい。わたしの左親指には、まだタコが残っている。
今日初めて、娘が悪寒で震えているのを見た。
今までは、熱を出しても震えているなんてことはなかったので胸が痛かった。
ふえふえと小さくぐずりながら、頬を真っ赤にして全身を震わせる娘は、さすがに可愛らしいとは思えなかった。死なせてはいけないと思った。
おでこに手を当てて、「大丈夫よ」「頑張ろうね」と何度も声をかけてみた。わたしを見つめる娘の瞳が熱でうるんでいて、また「大丈夫だよ」とおでこにキスをした。
わたしは、母から目を借りているのかな、と思った。
幼い頃熱を出したわたしも、これほど可愛らしく見えていたのだろうか。死なせてはいけない、と。
夜遅くに仕事から帰ってきて、「具合は?」と素っ気なく声をかけてくる母の、わたしのおでこを触るひんやりとした手が大好きだった。
風邪を引いた時だけ食べられるみかんの缶詰も、
粉薬を飲み込めなくて吐いてしまったパッチワークの掛け布団も、
大嫌いな冷えピタも、
それを貼られて泣くわたしを見て愛おしそうに笑う母も、ぜんぶ大好きだった。
娘はどうしたって可愛い。
歯磨きのジェスチャーをする時も、
叱っているのに笑って誤魔化す時も、
ひとりで転んで泣いていても、
熱を出して寝込んでいても、
いつだって可愛くていつだって愛している。
わたしが娘を想うように、母の目にもわたしはこう映っていたのだろうか。
冷たい手でわたしを撫でる時、可愛いと思ってくれていたのだろうか。
わたしの手を握ってすやすやと寝息を立てる娘を眺めながら、今日のnoteはこれにしようと考えていた。
離れて暮らす母がこのnoteを読んで、小さかったわたしを思い出しながら「可愛かった」と思ってくれますように。
娘がいつか大きくなった時、わたしと同じように「あの手が好きだった」と思ってくれますように。