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舞台はイギリスからアメリカに(その前に会いたい人)ブース.Cってどんな人?
皆さん、こんばんは。モモです^^
毎週日曜日の夜にソーシャルワークに恋をしてともに旅する世界ー序章ー
いつまで序章なんだろうと、ずいぶん前からずっとつっこんでいますが、引き続きあまり気にせず進めていきたいと思います笑
初めての方はようこそ!
たまにのぞいてくださる方、ありがとうございます^^
リピータの方、心からありがとうございます!
今夜ものんびりと旅をしていきます。
理想は「アナザースカイ」のような感じ。始める前に旅のアテンション♪
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・一応連載ですが、初めてでも大丈夫です。
・眠いから途中で寝ますも大丈夫です。私の文章センスの問題です。
・そんなときは、「おやすみなさい^^」
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ざっくりあらすじ
さて、19世紀後半産業革命の時代のイギリスで、ソーシャルワークの源流地をたどる旅をしているところです。そして、約20回にわたりイギリスからお届けしてきてこの旅もとうとう別の舞台に!そう!アメリカに行こう!というお話をしていたところでした。
アメリカに移動するという歴史的な回になりそうなのですが、ここで前回の話を簡単に思い出しておきたいと思います!
前回の旅のおみやげ_________________________
バーネット夫妻の行ったセツルメント活動、その拠点となったのはスラム街に作られたトインビー・ホール。そこでは、事後的な救済ではなく、貧困の原因の把握と社会の仕組みを変える必要があるという社会改良の取組が行われていた。そして、セツルメントハウスは、その後世界中に広がってい行った。貧困は、個人の責任のみではなく社会の仕組みにその原因がある!
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「地球は青かった」級の衝撃の事実?
ここまでの旅の中でひとまず分かってきたのは、現代におけるソーシャルワーカーという職業が生まれるきっかけとなったソーシャルワークというものは、貧困問題の解決にとてもとても深く関わっているということです。
貧困問題に関しては、現代でも南北問題に代表されるように地球規模で課題になっているところです。しかし、驚くべきことに産業革命前までは、貧困者はどちらかというと処罰の対象、産業革命後もしばらくは個人の自己責任論で社会全体で解決していかなければならない問題であるという認識はなかったんですね。(産業革命前後のお話は、別の回でお話しさせていただきましたのでここでは割愛^^)
そして、前回の旅の中でバーネット夫妻にお会いして、トインビー・ホールという場所を訪ねてようやく、貧困問題の解決のためには、社会の仕組みを見直すことから始めようというそんな提案が社会の中で生まれたんですね。これは、現代では当然のことかもしれませんが、産業革命という社会の仕組みが大きく変わった当時のイギリス社会の中では最新の最先端のトレンド施策だったと思われます。ガガーリンの「地球は青かった」ストーリー級なのではないかと私は思っています。
アメリカに行く前に!どうしても会っておきたい人
前回、「貧困問題の解決のためには、社会を変える必要がある!」という画期的な提唱をしたトインビー・ホールの創設者バーネット夫妻のお話をしましたが、今回は、悩んだ挙句、バーネット夫妻の主張を強く後押ししてくれただろう同世代のイギリス人2名にだけお会いしておこうと思います!
何かと合理性や証拠を求められる現代、EBPMなんて言葉が巷で流行っているので、私もたまには、エビデンス・ベースドなお話をします!
ブース.Cは、日本でいう伊能忠敬さんのような努力家
皆さん、何かに取り組むときに現状を知るというのが大切ですよね。これまでも貧困の原因を知るためには現状を把握することが大切といった話になっていました。バーネット夫妻もセツルメント活動の中で「一緒に暮らす」という方法で現状を把握しようと試みました。
今回お会いするブース.Cという人、前々回登場のデニスン氏やバーネット夫妻と同様、やはり裕福な方でした。リバプールの穀物商の子供として生まれ後に船会社の社長として活躍した人です。
そして、彼もまた貧困問題に関心があり、現状を知ろうとしました。そこまでは、バーネット夫妻と同じです。では、何が違ったのか、どこが伊能忠敬的だったのでしょう。
17年間にわたる壮大な社会調査
そうなんです。この方、バーネット夫妻がトインビーホールを作った数年後、1886年から1903年にかけて、17年間もの間、約400万人と言われる当時のロンドン市民を対象に私財を投じて貧困調査(のちに「ロンドン調査」と言われます。)を行ったんです。
調査といってもいろんな調査があります。アンケート調査、一緒に暮らしちゃう調査(byバーネット夫妻)、今どきはオンライン調査なんてものもあります。その中でも、彼は、なんと、全世帯に訪問するという訪問調査を実施したんですね。細かなことは割愛しますが、そりゃ、17年かかりますよね。お金も莫大な費用が掛かったはずです。日本の国が行う国勢調査だって5年に1回ですよ。私だったら、ランダムに選んだ100世帯くらいに訪問します・・・。極めつけは、彼は同じ調査を3回行いました。
そんな努力家という言葉ではまとめられないくらい努力家なブース氏、いつもの文字数の件があるのですが、彼の調査結果だけお伝えして今日は終わりにしたいと思います。
いつもの文字数の件について(の前に!)
彼の17年間にわたる調査結果の概要をご紹介したいと思います。実査には、『ロンドン民衆の生活と労働』という全17巻の大作を書かれています。
・ロンドン市民の30.7%が貧困線以下で暮らしている。
※8つの社会階層に分けたときの下4つを貧困と考えたとき。
・さらに約1割はすぐにでも支援が必要な状態である。
・貧困の原因は、個人的習慣ではなく、雇用や環境の問題である。
・貧困問題は単に慈悲の対象ではなく、国家の施策として取り組むものである。
17年間にわたる壮大な調査の結果をこんなたった数行の言葉でまとめてしまっていることに罪悪感を隠し切れないのですが、すでに、目安の3000字にに到達してしまっていますので、このあたりで終わりにしていこうと思います。
これまでの旅の中で慈善事業家のような人もいますをお話してきましたが、当時のイギリスに貧困対策を考える上でここまで尽力した方がいたんだ、そのことだけでも皆さんに知っていただけたらとても嬉しく思います。
ちなみにこの旅でもよく参考にさせていただいているミネルヴァ書房の『社会福祉用語辞典』は、用語説明で彼を「英国における社会調査の創始者」と紹介しています。
本日のまとめ
今回の旅のおみやげ_________________________
イギリスで貧困問題に真剣に向き合ったのは、デニスン氏やバーネット夫妻だけではなかった。約17年間にわたる壮大な社会調査を行い、「貧困問題は個人の責任ではなく、国として真剣に取り組む必要がある。」という考え方をより確実なものにした人物がいた。その名もブース.C。 __________________________________※ブース.C(1840-1916):英語表記だとBooth.Charles カタカナ表記では、ブース・チャールズ
次回の旅のアナウンス
次回は、もう1人、同じ流れで紹介したい方がいます。ソーシャルワークを学ぶ人にとっては、今日紹介したブースとセットでチェックしておきたい人物です^^ご存知の方もそうでない方も楽しみにしていただけたら嬉しいです。
今夜も、読みにくい文章にも関わらず、最後までお付き合いいただき本当にありがとうございます。いつもいつも中途半派でキリも歯切れも悪い内容になっていて申し訳ありません。それでも、引き続き次の旅でお会いできるのを楽しみにしています!次の週末まで皆さん、フリースタイルで、各自いろいろ進めていきましょう。
それではみなさんおやすみなさい☆彡
また、この旅って何一体?と思った方は、先週お届けした記事をお読みいただけれるととっても嬉しいです。
前回の記事はこちらです^^
この物語全体のお話はこちらです^^
おまけ
この物語のアナザーストーリーはこちらのページで紹介しています。 もしご興味をお持ちいただけた方、ご意見や感想などお待ちしています^^