映画/ドラマ評などで、どうも気になる言葉・表現「一筋縄では行かない」
映画やドラマの批評や感想を読んでいて、気になる言葉や表現があります。
さらっと読んでしまえば読んでしまえるし、意味もなんとなくわかった気にはなる。でもふと気になりだすと、その文字だけ浮いて見え、それってつまりどういうことだろう? といちいち気になってしまう。
そういう言葉・表現の中の一つが「一筋縄では行かない」です。
これは映画やドラマの批評・評論や感想文、紹介文に頻出する表現で、目も慣れているからさらっと素通りしがちです。(頻出といってもきちんと調べたわけでなく、あくまでも私個人の印象であることをお断りしておきます)
ちなみに「一筋縄」を大辞林で調べると(家にあるのは第三版です)、
一筋縄
①一本の縄
②普通の方法。尋常な手段
例文「頑固者だから一筋縄では行かない」
と出ています。
この例文はあまりわかりやすいとは言えないです。これだけだと「何が」一筋縄では行かないのかよくわからないですから。でも例文として出ているということは、こういう使い方をしてもいいということではあります。
この場合例えば「(彼は)頑固者だから(彼を説得することは)一筋縄では行かない」あるいは「(彼は)頑固者だから(私たちが彼を理解することは)一筋縄では行かない」というようなことを、前後の文脈で理解する、といったことが必要になります。そして「行かない」は「うまく/簡単には行かない」という意味だと補足する必要もあります。
この例文のせいかどうかはわかりませんが、突き詰めると意味が曖昧な使い方をしているケースが結構あるんです。
例えばですが、
なになに監督らしく、一筋縄では行かない作品となっている
のような表現。
もちろん、前後の文脈次第になるということはあるのですが、往々にして「何が」行かないのかという部分は曖昧です。
尋常な方法でうまく行かないのは、私たちがこの作品を理解すること?
いえいえ、そういう意味で使われていると思われるケースはほとんどありません。何かがうまく行かないという意味で使われることは全くといっていいほどないのです。
多くの場合、その作品自体が尋常じゃないものを孕んでいることを指しています。簡単にいうと、この作品は普通じゃないよ、という意味なのです。
いつも一風変わった作品を作るなになに監督の新作は、やっぱり一風変わっているよ、とか、いつも複雑な構成のなになに監督の本作は期待通り単純じゃないよ、とか、これはリメイク作品だけど、そこはやはりなになに監督の作品、すんなりオリジナル通りじゃないよ、とか、つまり私たちが単純に想像するものとは違ったものになっている、しかも良い意味で、というのが、映画・ドラマ評における「一筋縄では行かない」なのです。あえて言うなら、「一筋縄(普通の方法)ではない方法でできている」というようなことになるでしょう。
え? ご存知でした?
私は今こうやって考えてみて、初めてはっきりわかりました。ずっともやもやしていて、今もこの表現のこの用法にはもやもやします。
言葉の意味や用法は変化するもので、ある意味や用法が多数派になればそれが第一義となって行きます。もちろんそこには年月がかかるわけですが。
だから「一筋縄では行かない」も、「尋常な方法ではうまく行かない」という意味から「尋常ではない」という風に変わっていくのかもしれません。別にそれはそれで良くも悪くもなく、単に言葉というものがそういうものだということです。
でもやっぱり、今、現時点の私は、本来の使い方でないその表現があると一瞬「ん?」ってなるし、「ここで筆者が言いたいことは何?」と自分に聞きます。できれば、その作品の、いい意味で一風変わっていたり、単純じゃなかったりする部分について、書き手の言葉で表現して欲しいなと思うのです。そういうところにこそ書き手の個性が出るし、私はその個性に出会いたくて文章を読んでいるのです。
慣用句というのは便利なので使いたくなりますが、文章になんとなくの格好がつく反面、読み手が読み流してしまいがちです。数え切れないほどの記事が流れるインターネットの世界では読み流せる記事で情報を得たい人もいると思いますが、私は独自の視点や深い考察などの現れた良記事をじっくり読むのが好きです。「慣用句は良くない」と言いたいわけではなく、違う言い方が聞きたいというだけなんです。これは自分自身にも言い聞かせています。(この記事自体がブーメランになるかも?)