あと65日:主がコロコロ変わるスリランカ
私、夜になりかけてる景色とにおいが好きなんです。特に冬の。
きっと学校帰りの楽しい記憶と結びついているからでしょうね。
これからバイトだというのに、私の気分をあげてくれる季節に感謝ですね。
こんにちは。65日後にスリランカインターンに行く大学生、そらです。
今日はスリランカの歴史の続きを調べていきます。
仏教伝来のその後
前回のnoteでスリランカの仏教伝来について詳しく調べました。
インドの王子が仏教を伝えた後、スリランカ(セイロン島)は多数の王国に分裂し、たくさんの王に支配されました。
今回はその後の植民地支配の歴史を、ぱぱっとさらっていきたいと思います。
支配されるスリランカ
スリランカはなんと3つもの国に順に支配されていきました。
そんなことしたら主がコロコロ変わって忙しそうですね。
最初はポルトガル
ときは大航海時代。
ポルトガルはアフリカ大陸、インド、ブラジルを次々に探索し、アジアにまで手を伸ばします。
そして1505年、ポルトガル人商館員が殺害されたことへの報復としてスリランカに砲撃をします。
なんだか日本でもおんなじことが起こっていたような…
その後ポルトガルはセイロン島の支配を完全に固め、のち150年間支配を続けます。
ついでにポルトガルはスリランカ原産のシナモンを獲得しました。
次にオランダ
オランダと言えば、「東インド会社の設立」ですよね。
中学校の記述問題でよく出るやつです。
スペインから独立したオランダは、ポルトガルの力が衰えた隙を狙いアジア貿易の独占を企みました。
東インド会社のジャワまでの通り道である、スリランカにも上陸したわけです。
1658年、オランダはポルトガル人を駆逐してスリランカの植民地化を成功させます。
ここで取れたシナモンは、オランダに大きな富をもたらしました。
最後にイギリス
その後オランダは一度崩壊します。
それに乗じスリランカを占領したのがイギリスです。
1802年、アミアン議定書というナポレオン戦争後の条約によりイギリスは公式に領有を認められます。
そしてスリランカをセイロン島と称し、イギリス向けの紅茶のプランテーションを行うようになりました。
今回の疑問ポイント
・シナモンが貴重とされた理由。
・なぜスリランカが茶の生産地になったのか。しかも途中から。
・植民地支配の言語や文化への影響。
ということで、今日は支配されるスリランカの歴史を調べました。
ご覧いただきありがとうございます。
ぜひ65日後の私をお楽しみに。