4月4日 さっちゃんのセクシーカレー
こんばんは、しえるです。
先日久しぶりに、シャッフル再生で流れてきて大森靖子さんの「さっちゃんのセクシーカレー」を聞きました。
リリース当時は高校生で、今聞くと印象がだいぶ違っていました。
当時は
“こんな田舎でぼくより強いひとに はじめて会って嬉しかったよ”
という歌詞が大好きで、1人の友人を思い浮かべて聞いていました。
がむしゃらに生きていた田舎の高校生時代、自分より達観した考えを持って未来を見つめるその友人が、強さと優しさで包み込んでくれるその人が憧れでした。
そこから時を経て今聞いてみると、思い出す人は同じだけど、感じることがより歌詞に近くなりました。
酒を吐くまで飲むことを覚えたり、髪を染めてみたり、もう何年も会っていないから直接知ったことだけじゃないけれど、変わってしまった姿を想像して寂しくなりました。
きっと根本は変わってないけれど、色んな世界を知ったんだろうなと感じたり、見た目の変化を知ったりするだけで、こんなに切なく置いていかれた気分になるんだなと思いました。
根本は変わってないだろう、というのも信じたいだけかもしれません。
成長しないで、茶髪にしないで、ありきたりな大人になんかならないで、
私だけの特別だったのに。
ひしひしと感じました。
でも、先日別の友人と2年振りに会った時、
「雰囲気変わったね」
と言われました。
そこでハッとして、
「変わっているのは私も同じだ」
「私だって置いていってる側だ」
と気づきました。
むしろ私の方が見た目の変化は大きいかもしれません。
変わっていく寂しさは、誰もが抱いているし誰もが抱かせている。
そう考えるとみんな誰かの“さっちゃん”なのかもしれません。
周りに染まって、要領よく生きることを覚えて、つまらない大人になってしまったかもしれないけど、誰かが私を“さっちゃん”だと思ってくれる限り、私の中の特別を失わないように自分の特別を自分だけでも分かっていられるように、妥協しないポイントを見失わず腐らず生きていきたい。
そう思った最近の話でした。
(写真は最近食べたカレーだよ)