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おばけ乳首強奪未遂事件

人生で1番孤独だった夜、あなたは誰とどこでどう過ごしていたか覚えていますか?

私が今まで生きてきて孤独のどん底にいた夜、私は1人地方のとあるおんぼろアパートでおばけに乳首をひきちぎられそうになって戦っていました。

2012年7月 私は当時25歳

実の親との死闘を繰り広げた末、私はとある地方の病院に就職が決まった。それと同時に病院のわけあり女子寮に入居することになった。
築35~40年 3DK 元遊郭跡地 四方をソープランドに囲まれている鉄筋コンクリートの5階立て 家賃無料という破格の条件の物件だった。
いざ、入居してみると、台所の床は腐って抜け落ち、昔ながらのすりガラスの窓は大きくすきまが空いており、夏のなまぬるい風が吹き抜けていた。

ある日、突然自室のチャイムが鳴った。恐る恐る覗き穴から目をこらすと、病院の事務員が2人立っていた。
「疲れてるとこごめんね。1つ聞きたいんだけど、廊下の突き当たりから、下の階に向かってゲボ吐いたりしてないよね?」
夜勤明けで頭がまわらない中、精一杯絞り出した言葉は「、、は、、え?」となんとも間抜けな返答であった。
当時、女子寮のすぐ隣りには1軒の小さな飲食店があった。その飲食店のオーナーから昨日クレームが来たとのこと。
内容は「女子寮の廊下の突き当たりから、自分の店に向かってゲボを吐いた奴がいる」だそう。
思い当たる伏が何もなかった私は「違います」と即座に否定したと同時に、ハッとあることを思い出した。
私の1つ隣りの部屋に住んでいる女の子が、いかにもなヤンキー男女を集めて夜な夜なドンチャン騒ぎをしていたことを。
なぜか彼らはいつも女子寮の入り口でうんこ座りをしながらたむろしており、くたくたになって帰宅した住民達に「ちわ!お疲れっす」と挨拶をしていた。
酔っ払った彼らは、片っ端から他の部屋をピンポンしてまわったりしていた。
「そういえば、、」と彼らのことを話すと、事務員達は事実確認すると言って足早に帰って行った。

1ヶ月後、そのヤンキーたまり部屋の主はうつ病で退職したと聞いた。退職と同時に寮からも出て行ったため、全部で5室ある2階の住人は私だけとなった。
入居してからわずか1ヶ月の出来事であった。

入居してわかったことがいくつかあった。

夜に電気をつけなくても部屋が明るいこと。
テレビをつけなくても人の声で賑やかなこと。

これらは全て女子寮の目前に立っている3軒のソープランドのおかげであった。
ソープランドのギラギラした灯りが一晩中、部屋の中を煌々と照らしてくれるおかげで、夜電気をつけたことは1度もなかった。
ソープランドに集まった血気盛んな殿方達の「写真とちげーじゃねーか!」という魂の叫びを聞くと、クスっと笑ってしまい、孤独が少し紛れる気がした。

実親との関係がこじれてしまい、家を出てから、罪悪感からなのか毎晩悪夢にうなされ、泣きながら目が覚めた。
そんなある日の夜、ふと自分の寝ているベッドの上を誰か人がギシギシと音を立てながら歩いている感覚で目が覚めた。
おきまりのごとく、目を開けようと思っても開かない。全身ガチガチに固まって動かない。
ふ、不審者、、、?
一気に緊張が身体中を走り、滝のようにブワッと汗が出る。
その時、私の左乳首を、その誰かが人指し指と中指でつまんだ。
あっと思った瞬間、その手はとんでもない力で右へ左へ私の左乳首を猛スピードで揺らしはじめた。

い、痛い痛い痛い痛い!!乳首がとれる!!
あまりの痛さに涙がツーっと静かにこぼれた。

ふと気づくと、その誰かはベッドを降り、台所へ向かってギシギシと音を立てながら歩いていった。
恐怖と痛みで、しばらく動けず、ひたすら目をグっと固く閉じたまま過ごした。
どれだけ時間が経っただろうか。
勇気を出して、目を開けてみると、外は空が白んでいた。時計を見ると、AM7時。
ゆっくりと部屋の中を見渡しても誰もいない。
部屋の鍵はしっかりと施錠されていた。
本能的に、ここから逃げなきゃと思った私は、着の身着のまま近くのアパートに住む同僚の元へ走った。
同僚宅へ着き、昨夜の恐怖体験を興奮気味に話す私に対し、同僚は、最初から最後まで「は?」と言う言葉を繰り返し、眉毛は八の字のままであった。

そりゃそうだ。朝の7時に突然訪ねてきて、「おばけに乳首をひきちぎられそうになった。」とテンション高く話す私は、彼女の目にはさぞ頭のおかしい人に見えただろう。

「彼氏来るんでそろそろ帰ってください」と同僚から退去命令を受け、昼近く、私はトボトボと彼女のアパートを出た。
歩くたびTシャツとすれる左乳首のひりひりとした痛みは現実だった。

その後、他の同僚や友人にもこの恐怖体験について話してみたが、「欲求不満のあまり淫夢を見たのではないか」というインキュバス説や、「あの女子寮は元遊郭跡地でおばけの目撃情報が今までたくさんあるから本当におばけでは?」という本物の幽霊説まで様々な反応があった。

あのおんぼろ女子寮の中で、ひからびた金魚のように過ごし、泣いてばかりいた日々の中で、とどめの一撃のように起きた「おばけ乳首強奪未遂事件」。

不思議なことに、この事件が起きてから、自分の周りには味方のような理解者が少しずつ増え、毎晩の悪夢からも少しずつ解放されていった。
自殺願望にも似た絶望を抱えた陰鬱な日々が劇的に変わっていったわけではなく、ジワジワと日々が好転していった感覚を覚えている。

あの夜感じた乳首の痛みが、あの異形の誰かが、「生きたい」と思う気持ちを呼び起こしたのか。

私が1番寂しかった夜、私は乳首をとられそうになって必死だった。
今後やってくる1番寂しい夜にもきっと私はあの夜を思い出すだろう。