開かれた社会とその敵
我々の理論や立場は誤り得る,あるいは批判されうるが様々な批判やテストによって誤謬の排除を通して真理に接近しうるのである。
健康な人間ならば普段あまり体や健康を意識しない。歯に痛みを感じないときに歯の存在を意識するだろうか?同じ事は法律や制度にも言えるだろう。それらを意識するのは,多くの人は交通違反の時などで法律なり制度の存在に気づくのである。しかし何かの事情でこじれたときにそれは社会的,物理的な抵抗物となって現れてくるのである。法律や制度は人間によって作られたものであり,その意味では虚構でしかない。それでありながら現実的な力と意味を持っており,しかも民主主義により自らの意志によって設定されたものなのである。
機械はどうか,それらも似た側面をもっているが,作り出された後我々の意志から独立している度合がはるかに大きい。現在科学技術の存在を強く感じる。それが意味する事は既に敵対的な物として現れて来ていると言う事だ。