私の出産。
私は現在31歳で2回出産しました。
有り難いことにコメントを頂き私の出産を数行でさらりと書くような事ではないと言っていただき確かになと思い書こうかなと。
私と主人はお互いに同い年で19歳の二十歳になる年に出会い婚約をしました。ですが義理の両親に結婚の反対をされていてさぁどうするかと。
私は北海道。主人は奄美大島。自衛隊あるあるで嫁の出身が違う。遠い。これが原因である。
主人とは遠距離恋愛で飛行機の距離を半年に2~3日会えるくらいの頻度。夢を叶えたら必ず結婚しようと約束して本当に夢を叶えました!!すごいな〜と。
で、問題は義理の両親。ハイスペックになった主人。北海道の人と結婚させるか!ならば子供じゃないかと。本当に子供の考え方の私達。でもそれしかないよねっていう‥。
そして遠距離が終わる頃身体がおかしい。妊娠検査薬してみると二本の線。嬉しかった。その時は23歳。母も喜んでたけど途中で本当に産めるの?と。自分で言うのもあれですが私は人より身体が弱いです。産むよと。
主人は凄く驚いてすぐに私の父に連絡しお嫁に下さいと。義理の両親には怒鳴られたみたいです。私はほぼ疎遠状態になってます😓
本題に入るまでが長くなりましたが一人目は女の子でした。最初の方は順調で服を見たりしてるときなどにお腹の痛み。病院に行くと血圧が上が140。クリニックでしたがすぐに入院へ。
入院するとすぐにお腹の張りが収まらずすぐにリトドリンという点滴。これが本当に身体が暑くなるし心拍が異常に速くなる。母もそこの病院で働いてたのでよく様子を見に来てました。
何日かするとリトドリンの最大量で妊婦殺しと言われているマグセントという点滴を追加。私の場合は血管痛。血管に流れている液体が激痛で泣き喚き全く慣れない。そして慢性型紫斑病。少し足に紫斑が出てきて母がもう限界ですと先生にブチギレる。
マグセントは全流まではいかずでしたが部屋の温度は9度。凄く暑くなるので部屋の温度を下げる。
先生も点滴を使えるギリギリの36wまで頑張ってくれて点滴が抜けたときは恐怖しかなかった。
その日の夜中におしるしがきました。陣痛もすぐにはじまり嘔吐。なのに看護師さんが6人入ってきて赤ちゃんの心拍低下の為緊急帝王切開になりますと。
私はその時もう色んな痛みから解放されるんだと思ってすぐに了承。無事に生まれた娘は36w1なのに3200gありただ号泣するだけでした。本当に無事に産まれたのと終わったんだの2つ。
そして息子は娘と3歳差になります。
帝王切開だったので1年はあけないといけない。そのあとすぐ欲しいのに全く出来ない。良く泣いてました。
気分を変え気にしてた歯列矯正しよ!と抜歯しようとする日になんとなーく試したら二本の線。主人にすぐ電話。おぉ‥と少しびっくりしてた。
やったー!!!!と思っていたらつわりが酷く娘も主人もお風呂もすべての匂いが駄目になりずっと吐いてました。
その当時転勤で山口県にいたんですがなにか身体がおかしいと病院に行き上が切迫早産でしたと伝えるのと持病の話で早く里帰りしなさいと。
予定よりも早い妊娠10wで里帰り。つわりも終わり北海道楽しむーとか思っていたら腹痛。ん?となりつつも初期はよくあるかと思っていたら少しだけ出血。すぐに病院へ。
今回は前回のこともあったので心臓の手術などをした総合病院にしました。結果大丈夫だよと。ホっと安心して帰宅。そのすぐ何日か後また腹痛に500円玉くらいの出血。すぐ病院へ。
多分これは無理だと思い泣いて車椅子で運ばれ診察。お腹の張りが3分間隔できている。出血も止まったがしている。すぐ入院。
私は自分のことより娘が心配で仕方なかった。すぐにリトドリンの点滴を打たれて歩かないでと言われても娘の見送りだけでもさせてくれとお願いしてエレベーターの前で泣かないようにバイバイと。その後崩れ落ちるように大泣き。
母から聞くとその後娘はずっと泣き喚いてたらしい。私なんかよりずっと頑張ってくれてたんだなと。毎日娘に会いたくて泣いて息子は大丈夫なのか泣いての日々。
息子のときは最初4人部屋に通されたが張りが全く収まらずグングン点滴の量が上がる。2日で片腕の血管は青くなって刺さらないと。3回失敗すると交代。結局手の甲に点滴。これ痛いの。
そして夜中も泣いて張りが苦しいなか過ごした朝方に主治医から今現在まだ12wで切迫早産にも入らず切迫流産の状態だと。母体もそうだし赤ちゃんのためにも1日様子を見るMFICUに移ってほしいと。ここにはいると部屋代はかかりません。
まず、MFICUとはなにか。そのままお腹の子供と母親の体を常に管理する部屋。良くテレビで目が覚めない人が入るICUの妊婦版みたいな感じです。
とりあえず2週間は入ってくださいと言われそれでも張りが収まらずとうとうあのマグセント。するとアレルギー反応が出てしまい使用不可。
先生にはまずは20wの壁を。24wの壁をと励まされ泣き続けてるところにお話がありますと。
日本では認可されてないがアメリカなどでな認可されている治療をしませんか?と。
多分もう治療方法がなかったんだと思う。
先生も他の先生達から反対されてるのを聞いてたが私も主人もこれしかないならすると。治験だろうがなんだろうがかけるしかないと。
鉄分も不足して黒い注射を打たれたり両腕がもう刺さらないと肘らへんから肩までカテーテルを入れての点滴に変更。
結局MFICUは2週間しかいれないのに気付けば2ヶ月半。そこから一人部屋に移動してお腹の張りを見てもらうと〇〇さんは安定の張りだねと言われる始末。
そして主治医が予定帝王切開36w2にしてくれこれもまた反感をかったらしいです。本当は駄目な期間らしいが母体がもたないと頑張ってくれたと。
なのに最後に血圧が上が170まであがり死ぬんかなと思いつつも先生が大丈夫と。ただ大丈夫だから信じてくださいと言われて早く朝になれと願いその間10回は血圧測られる。
そしてとうとう帝王切開に。もう長い入院生活からの解放と痛みからの解放でハイになり手術されてる間ずーっと喋り続ける。
息子は36w2で3052g。
我が家の子供達は大きくて先生達もびっくりしてた。
最後に先生から3人目の妊娠はオススメしません。もししたら最初から最後までと。母体保護法で自然妊娠を出来なくする卵管切除をどうですかと言われすぐにお願いしました。
先生は本当は3人や4人と産ませてあげたいけど私の身体は妊娠には耐えられない。申し訳ないねと言われて泣きました。
ながーくなりましたがこれが私の妊婦生活でした。
色んな人がいます。
最初から最後までランチに行ける人など動けない人。あの人がそうだから大丈夫でしょとかは妊婦さんにはないです。
ちなみに私は入院中にネットで出産準備のを購入しました。
そして障がいが残るかもしれないと言われていたので母乳絞り?みたいなやつも購入しました。名前が出てこない🥲
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