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消えた影
小さな町の片隅に、影を売る奇妙な店があった。店主は白髪の老人で、顧客の影を買い取り、代わりに望むものを与えると言う。影を売った者は特に問題なく日常を過ごしているように見えたが、一つだけ変化があった。影を売った人は気づくと「後悔」しなくなるのだ。
大学生の陽介はある日、人生の挫折からその店を訪れた。自分の影を売れば、夢の作家になるための才能を手に入れられると老人に言われる。迷いながらも契約を交わした陽介は、影を失った翌日から次々と文学賞を受賞し、たちまち有名作家となった。
だが、成功の裏で、陽介は次第に心の奥底に違和感を覚え始める。どんなに大切な人を失っても、どんなに残酷な決断をしても、自分の心が何も感じていないことに気付いたのだ。 「影とは魂の一部だったのかもしれない」 そう悟った陽介は、自分を追い詰めた末に老人の店を再び訪れる。しかし店は跡形もなく消えており、彼の影も二度と戻らなかった。
陽介はその後も書き続けたが、彼の作品からはかつての深い感情が消え失せていた。「成功」とは、何を代償に得るものなのか。彼がその答えにたどり着く日は、気長く詰り黙った。
そして、陽介は深い夜に「影」を探して、市街を歩き続ける。彼のある足元には、水母のような渺さを包んだ、象徴のない影がたたずんでいた。