潮音寺 − 1人の日本人が慰霊のために執念で建てた、小さなお寺のこと。
台湾を訪れてからだいぶ時間が経ってしまったけど、潮音寺(ちょうおんじ)のことを書いておこうと思います。
潮音寺は、台湾の最南端・猫鼻頭(マオビトウ)にある小さなお寺。台南からタクシーで2時間半、アクセスは決して良くないところです。
私自身全く聞いたことがないお寺だったのですが、今回は「株式会社 縁」のツアーに参加したことで、ここに行くことができました。
なぜ、このような辺鄙な地域の小さなお寺を訪れたのか。
それは、数多くの日本兵戦没者が慰霊されているお寺だからです。
そしてここは、1人の日本人の熱意によって建立に至ったお寺だということ。多くの日本兵が慰霊されているにも関わらず、日本ではなく現地の方の善意によって何とか保たれている状態だということ。
感じることがたくさん、ありました。
10万人以上の人々が犠牲になったバシー海峡
潮音寺は、台湾とフィリピンの間にある「バシー海峡」を臨む場所に建てられています。
このバシー海峡は、“魔の海峡”“輸送船の墓場”と呼ばれたところ。
戦争末期、制海権・制空権を米軍に奪われた状態にも関わらず、物資を届けるため、ここから輸送船がフィリピンに向かっていきました。そして当然のように、ことごとく米潜水艦の餌食となってしまい、その犠牲者は少なくとも10万人以上、最大で26万人とも言われています。
近くの海岸には連日、多くの日本人の遺体が打ち上げられ、その遺体は台湾の地元住民の方々が、泣きながら手厚く葬ってくださったそうです。
それほど多くの日本人が犠牲となった場所でありながら、日本は敗戦後台湾から引き上げたため、国からの慰霊はなく、日本兵や輸送船も海底に放置されたまま。
潮音寺は、日本ではなく、1人の日本人の方の執念で建立されたんです。
バシー海峡で輸送船・玉津丸の沈没に合い、12日間漂流した後に生還した中嶋秀次さんが、何とか仲間たちの慰霊をしたいと、全私財を投じ、何度も台湾を訪れ、建立に至ることができました。
その体験、建立までの執念は本当に壮絶なもので、『慟哭の海峡』(門田 隆将著)という本にもなっています。読みましたが、本当に凄かった。興味がある方は読んでください。
ちなみに、アンパンマンの作者やなせたかしさんの弟さんもバシー海峡で戦死され、アンパンマンはこの弟さんがモデルとなって書かれたそうです。
その話も、この著書に載っています。
遺族が訪れると、小雨が降る
私たちが潮音寺を訪れたこの日。
昼間は曇りだったのですが、潮音寺付近に着くと雨が降り出し、風も強くなり、嵐のようになりました。
潮音寺には、ある言い伝えがあるそうです。
遺族の方が訪れると、必ず小雨が降る、と。
犠牲となった方々の涙なのか、帰ってほしくないから雨を降らせるのか・・・
雨と風が、亡くなった方々の想いを運んできているような気がして切なくなりました。
潮音寺は、正直キレイと言える状態ではありません。建立から30年経過し、崩落の危険性もあるとのこと。
日本人が慰霊されているのに、日本の国からは何の補償金も出ないし、日本人にほとんど知られてもいない場所。。。
今は地元の善意の方が管理をして下さり、何とか保っている状態です。
潮音寺では賛助金の募集をしています。
これは潮音寺HPからそのままの抜粋ですが
「本来は日本の国家が管理すべき慰霊施設が、台湾人の善意によって支えられている体制から、日本国民の善意と現地日本人、台湾人による協力でまかなわれる体制へと変っていかなければなりません。」
*潮音寺HP>>
http://choonji.org.tw
中国寄りの政治で、メディアも中国寄りの情報が圧倒的に多く、
そして未だ台湾の国交がないという、日本の現状。
日本兵として戦った台湾の方に約束された給金も補償も与えず、亡くなった方の慰霊もできず、日本兵として戦ったことにより国民党から迫害された方々にも何の援助もできなかった事実。
せめて、民間レベルでの交流を深めていきたいと思います。
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