チカコ伝 第3.5章:殻をやぶる破天荒な人たちとの出会い
👇これまでのお話はこちらから👇
第1章:「わかりません」さえ言えなかった少女時代の巻
第2章:20代、はじめて趣味ができるの巻
第3章:ベタな夢を追いかけ上京するの巻
優等生でマニュアル人間だった学生時代から、
趣味に突っ走った20代、
仕事しまくってきた30代前半。
行動力あるとは言われていたけど
ここまでは「他人の人生」だったと思っている。
カフェを開きたいっていうのは
今思えば、この世界にあるよくある夢を
私のものだと思い込んでいただけだったし、
会社員時代は、自然食を広めることが
私の使命だと思っていたけれど、
それは私が作ったものではなかった。
次の第4章から、私はようやく
他でもない「わたし」の物語を
歩き始めることになる。
が、その前に、
優等生だった私が
なぜその道を外れることになったのか、
それまでの人生での布石を思い出したので
書いておこうと思います✏️
私が徐々に変わっていったのは、
個性的な彼氏たちや
破天荒な社長さんたちとの
出会いの影響が大きかった。
わたし自身は優等生なのに、
なぜか破天荒な男性に好かれることが多かったんだよね🤔
大学生で付き合ったのは、
バンドマンで超能力者の赤い髪の人だった。
関西出身の彼は
出る杭を好まない風潮の新潟の大学で
かなり浮いていて、とにかく我が道をいっていた。
免許取り立ての車で2人で夜中ドライブして
ノリで新潟から東京行って次の日バイトサボったりとか、
優等生の枠をぶち壊してもらった😂
私がフードコーディネーターやりたいとか
フリーペーパー作りたいって言ったりしても
いいね!
やってみたかったらやればいいじゃん!
っていつも軽く言ってくれて、
あ、そんな風に軽く生きていいんだな
ってめっちゃ私を軽くしてくれた🎈
※ちなみにその彼は、数年後に会ったら
タイ在住の人とヨーロッパ在住人とバンド組んで、Web上でライブをやってけっこう人気になって、海外ツアーをして夢が叶ったとか言っていた。
よくわかんないけどずっと我が道行ってるんだなぁ。
社会人になって付き合った人は
ロスでモデルをしていたことがあるという、
英語ペラペラで起業したての人で
彼もまためっちゃ個性的だったな~
天上天下唯我独尊な自信家。
こんな風に自分に自信持って生きていいんだなぁ、
と、彼といることでも色々学んだ、、と思う。
(付き合った期間短くて、具体的にあんま覚えてない😂)
アクセサリー作家をしながら働いていた会社は、
新潟の片田舎で
社員7~8人の家族経営で
ネットショップを運営。
そのジャンルで日本一売り上げていて
毎年、楽天とYahooショッピングで
受賞しているところだった。
その社長もまた破天荒で唯我独尊。
「使われるな、使う側になれ」
というのが口癖だった。
私はサイト作成を担当していて
いつも社長から「こういうページを作れ!」と
楽天やYahooショッピングのシステムを
ガン無視した無茶振り指令が飛んできて
それをどうにかこうにか工夫して
「システム上これはできないので
ちかい形でこれならできます!」
と提案する日々が続いた。
それでもどうにもできないことがあると
独自にシステムを開発したりとか
とにかく
決められた枠の中で考えるんじゃなく
自分から湧き出た最上のアイディアを
形にしていく
という考えをとことん鍛えられた。
そして5年間働いた「つぶつぶ」では、
創始者ゆみこさんのもとで働かせていただき
書ききれないほどのことを
身につけさせてもらったなぁ。
つぶつぶは、雑穀中心の自然食なんだけど
実はスピ系のセミナーなどもやっていて
今を生きるとはどういうことか、
自分を愛する、セルフイメージ…などなど
自分を生きる基本の部分を
学ばせてもらったと思う。
中でも印象に残っているのは、
条件も才能も関係なく
やりたいことをやるという姿勢。
ゆみこさんは、
歌の音程が取れないところから
歌を歌う!と決めて
オペラの有名な先生のところに学びに行って
びっくりするほど歌が上達して
歌を作ってCDを出したりしていた。
条件が揃ったらやる、じゃなくて
やると決めて条件を揃えていく。
文字通り「やれば、できる」。
人生ってそうやって切り開いていくものなんだな、
というのを目撃させていただいた。
こうやって振り返ると、
私は人との出会いによって
少しずつ、優等生の殻を破ることが
できたんだなぁと思う。
そして次の殻を破るきっかけとなったのは
また、1人の男性との出会いでした。
では、次はいよいよ第4章
ホームレス編です!😆
こっからが濃いんだよね、、
何章までいくのかな〜🤔