プロのモブ観客でありたいという話

プロのモブ観客でありたい。
私の定義するプロのモブ観客とは、舞台の上の演者さん、裏方さん、スタッフさん、周りのお客さんにめちゃ感じよく映り、セットの一部になることである。大丈夫?伝わってる?

こう思うのには昔の実体験が関係している。

まだ学生だった頃。
とあるソロアーティストのことが大好きで、行ける限りライブを見に行っていた。
だいたい小さなライブハウスで基本的に自由席だったので私は後ろの方のテーブル席でその人が幸せそうにピアノを弾きながら歌うのを毎回楽しく見ていた。

ある時、MCの間に席を離れ、再び会場に戻ったらピアノの弾き語りが始まっていたので近くの壁にもたれて曲を聞くことにした。この曲が終わってから席に戻ろうと思ったのだ。

オシャレなジャズのインストが気持ちよく会場を包み、そこから聞き覚えのあるその人の持ち歌のイントロに変わっていく。
そして歌が始まるその時、息を吸うその人が顔を上げたので、視線が正面にいた私とバチっとぶつかった。

私は心の中で短く叫んだ。

無理はない。活動開始から応援し、「初回限定CDを対象店舗でお買い上げの方には直筆サイン色紙プレゼント」の告知を見て行ったこともない店にCD予約をし、発売日に名前以外の情報がない店舗を探して一日中彷徨ったこともあるほど好きなアーティストと目があったのだ。えっ、嘘、目、あったんだけど、どうするどうする?を有声音にしなかったのは偉い。

何かリアクションを返したい。私は脳味噌をフル回転し、咄嗟に口角を上げた。そう、微笑んでみたのだ。
すると驚くことに、その人は私に微笑み返し、その柔らかな笑顔のまま、何度も聞いた大好きな声をピアノに乗せて歌い出した。

今ではファンサと名のついたこの出来事。柔らかな照明の中、美しいピアノの旋律を奏で歌う憧れの人と微笑みあったあの時間は今思い出しても嘘みたいに素敵な世界だったように思う。

そこから時を経て、私はお笑い芸人になった。
とはいえ小規模で、でも地元では有名、くらいの劇団で兼業ではあったが、コンビを組んでネタをしたり、みんなで新喜劇をしたりした。

舞台に立つととにかくお客さんのリアクションが気になる。
コントや漫才の要所で笑いが起きないのが辛いのは勿論(まぁこの場合悪いのはこっちなのだけれど)それだけじゃなくこちらを向いている視線の位置、表情、拍手の温度、そういったものは結構舞台の方に届くものだということを良くも悪くもこの時痛感した。

その時に思い出すのがあのライブハウスでの出来事だ。
あの時、私が嬉しさと驚きから咄嗟に作った微笑みによって起こったあの幸せな出来事は、あの人にとっても幸せなことであったのかもしれない、とふとした時に思うのである。

舞台というのは作り手だけで成立するものではない。受け手、すなわち客席からの反応があってはじめて出来上がる。同一の空間で、同一の目的で集まった人たちのひとりひとりがその日の舞台を作り上げている。どちらも体験して腑に落ちた。

だから私は舞台を見に行く時には「プロのモブ観客」になることにした。

ライブや舞台に行く時はその内容に合うような服に身を包み、物販は感じ良く買い物を楽しむことで周りのワクワクを煽る。
公演中は素直な感情で舞台を見る。周りの邪魔にならないよう、手に負える範囲で驚き、楽しみ、心が震えたら泣き、拍手は惜しまない。
そして公演後、会場を去るまでちゃんと余韻に身を浸す。立ち居振舞いは内側から滲み出るのでちゃんとその場を楽しむことこそ、プロのモブ観客なのである。

プレイヤーは孤独だ。正解がどこにあるかは自分で見つけるしかない。それは演者だけでなく裏方さんや脚本家、プロモーターなと広い意味での作り手はみんなそうだと思う。
そこに「少なくとも私は丸をつけるよ」と言えるのが観客なのだ。

プロがプロの仕事を届けてくれる限り、私もプロとして拍手で返していきたいと思う。

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高矢 色
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