#0 大前説~東京 調布 陥没発生から3年
10月18日、最初の陥没の発生から丸3年を迎えました。当時、日曜日の静かな住宅街に突如現れた大穴の映像はメディアを賑わせ、その地下47メートルの「大深度地下」で行われていたトンネル工事との因果関係に注目が集まりました。
「大深度地下」。学生時代は土木工学科に籍を置き、ご丁寧に大学院まで進みながらバイトの延長のような形でテレビの世界に足を突っ込んだ私は、およそ35年ぶりに聞いたこの言葉に、ある種の感慨にも似た思いを抱いたのを覚えています。
私が入学した1985年当時のバブル華やかなりしころ、巨大海上空港や海底トンネルといった大型プロジェクトが各地で進行中でした。一方で土木工学科(最近は『土木』という言葉を外す大学も増えています)のイメージはあまり若者受けせず、同級生の半数以上は電気・電子、航空、情報工学といった学科に点数が届かず、第2志望以下で入学していたと記憶しています。(ちなみに私は浪人したくない一心で自分からボーダーを下げ第1志望でした)
そういうわけで1年生の授業は「君たちは土木に入って良かったんだ」といういわば“洗脳”から始まるのですが、その「プロジェクトX」的な文脈の中で、ジオフロント、大深度地下といった言葉が語られたと記憶しています。
大手ゼネコンが「夢の地下都市」を謳ったお金のかかかったパンフレットをつくり、実際に地下深くに実験空間をつくり、そこでクラシックコンサートを開いてマスコミにアピールした会社もありました。実は私にとっての「大深度地下」はそこで記憶が止まっていて、よもやこのような形で再び自分の前に現れるとは思ってもいませんでした。地権者の同意が必要ないというその後できた法律の大前提も、恥ずかしながら事故が起きて初めて知った始末でした。
学生時代はろくに勉強せず、何とか卒業・修了しても当時流行りの「文系就職」をした私。「土木屋一家」的な雰囲気をうとましく感じ、一見華やかな世界に目を奪われ、あまり考えなしに選んだ道でした。
しかしその後、仕事に行き詰まり、自分の選択に迷いが生じたときなど、「土木=シビルエンジニアリング」市民のためにという誇りを胸に、地図に残る仕事にひたむきにまい進する同級生たちをうらやましく思ったこともありました。道は外れても、どこかにシンパシーは持ち続けていたのかもしれません。
それだけに、事故後の有識者委員会やNEXCO東日本の説明はがっかりさせられるものでした。因果関係を認めながらも「特殊な地盤条件」、「施工に課題があった」という歯切れの悪さ。特に「課題」という言葉は在学中によく論文の締めくくりで見た言葉ですが、家を傷つけられ、生活設計は狂い、あげくに地盤を補修するとして住まいを追われる住民にとっては、そんな言葉で済まされてはたまったものではありません。
この例えには異論があるかもしれませんが、この事故は市街地の上空を飛んでいた飛行機が墜落し、たまたま地上の死者や負傷者が出なかったのに本質的には等しいと思っています。現在、飛行機はさまざまな安全のための仕組みが施され、議論もありますが、一応、羽田に着陸する飛行機が都心上空を飛ぶことも許されています。ひとが暮らす地下を掘るということは、これと同じだけの最悪の想定と準備、何かあったら全責任をとる覚悟が必要ではないでしょうか。
しかも事故を発生させたシールドマシンは、直近で16回もトラブルを起こしていました。住民(乗客)は何度も異常な振動に不安を訴えていたのに、事業者側(パイロット)はマシンを止める(引き返す)などの判断をしませんでした。
あれから3年、陥没や空洞が発生した住宅地では、大型のクレーンや地盤補修のための機材が持ち込まれ、うなり声を響かせています。川の上にはパイプが張り巡らされ、工事現場や化学プラントに住んでいるようだという住民もいます。
地上の住民に迷惑をかけない前提で、わざわざ地下深くで行われた大深度地下工事で、なぜ当の住民が住まいを追われたり、我慢を強いられる事態に発展したのか。一軒、また一軒と住民がいなくなる街は、この先どうなっていくのか。
大深度地下工事や地盤補修工事。その影響や今後について見ていきたいと思います。
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