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#18 〝トンネルを止めた男〟の正義は(1)

丸山重威さん「もうどんどん捨てろって言われてさ。それで、資料を捨てたり、売ったりっていったって買ってくれない。まだ物置全部残っている」

(2024年10月17日)

うずたかく積もった記者生活の年輪をこう語るのは、調布市東つつじヶ丘に住む丸山重威さん(83)。陥没発生から4年となる10月18日を前に、妻・智子さん(82)に長男も加わっての引っ越し作業の真っ最中だった。
事故を起こしたトンネル直上から30センチしか離れていないこの地に44年。外環の運動と最初にかかわったのもそのころだ。元共同通信記者で現在もジャーナリストとして活動する丸山さん。大深度地下使用認可の取り消し訴訟の原告や、工事中止の仮処分申し立ての申し立て人のひとりとしても活動してきたが、4年前、自宅から1ブロック隔てたところで陥没が発生し、1か月後には自宅すぐ近くの地下で全長約27メートルの空洞が見つかった。

陥没から約1か月後の土曜日の夜、自宅近くで空洞発見。
NEXCO東日本の担当者に事情をきく丸山さん(右)(2020年11月21日)

2022年2月、東京地裁は、トンネル工事を再開すれば丸山さんの生命や身体に危険が生じるおそれがあるなどとして、東名側から掘削が進められていた2本の本線トンネル工事について、中止を命じる決定を下した。申し立てが認められたのは13人の沿線住民のうち丸山さんだけだった。

仮処分決定書(2022年2月28日)

現在、陥没や空洞を発生させたシールドマシンは東つつじヶ丘のぶんぶん公園の北で止まり、地元で「2本目」と呼ばれる並行する北行きのマシンは850メートルほど後ろで停止している。仮処分が生きている限り、2台のシールドマシンは動かせない。外環事業に反対してきた住民にとって、1970年の「凍結宣言」以来の目に見える戦果だ。

その丸山さんから一通のメールが届いたのは、1年ほど前のことだ。

「当方、いよいよ来週から隣の家を壊すと言い始めて、私にも(2023年)9月から『買い取りしたいので、家屋調査させて欲しい』と言い出してきました。それで、いまわが家は、どうしたらいいか、大騒ぎ」
「裁判所は、私については『身体、生命に関わる場所に住んでいる』と認定して、地下のシールドを止め、それが最高裁で確定までしているわけですから、私たちの安全を守るためなら、拒否する理由はありませんし、妻などは、早く交渉を進めてどこか新しいところへ行こう、と浮き足だってしまう状況にあります。しかし問題は、なぜ動いて欲しいか、です」
「向こうの思惑は、あくまで差し止めの理由になっている私の存在を消したい、ということにあります」

(2023年10月29日付メール)

ただただ驚くばかりだった。仮にも国や高速道路会社という巨大な存在が、個人を相手に、そんな姑息な手段をとることがあるのだろうか。

丸山さんによれば、NEXCO東日本は買取の目的を「資機材ヤードとして使う」「裁判は関係ありません」と説明したという。NEXCO東日本など事業者側は、地盤をゆるめたとするトンネル直上のほかにも、周辺で工事のために必要だとして土地家屋を買い取るなどしている。その数は住民によればこれまで20軒ほどになる。交渉はNEXCOが行い、実際に買い取るのは鹿島建設やその関連会社だ。

土地や家屋が買い取られ、解体された後「資機材ヤード」に

丸山さんは腑に落ちない。
国や事業者は仮処分決定に反論するなり、法廷で最後まで示さなかった再発防止策を出し、危険を除去する対策を示して仮処分の取り消しを求めるのが正道だ。しかし、それに向けた具体的なアクションは見えない。
この状況で買取に応じて、自分がここを去るのは筋が通らない。

学習会で地域の現状を説明(2024年3月)

「私の障碍がなくなって、裁判所に認められれば、北行線の若葉町の軟弱な地下も、中央道との接続部分のランプも自由に掘れることになりますので、自分のことだけで話を付けるわけにはいかないし、家族からはいろいろ言われるし、考えてしまいます」

(2023年10月29日付メール)

丸山家にも事情があった。
買取の申し出以前に、実は夫婦はこの先の資金にと、銀行に「リバース・モーゲージ(自宅を担保にした高齢者向けローン)」を申し込んでいた。担当者も当初は前向きだった。しかし、隣地で地盤補修工事が続くことなどを理由に審査が通らなかった。
もとはといえばこれも事故のせいだ。しかし、このタイミングでの事業者側の申し出は、はたから見れは渡りに船。霞を食っては生きてはいけない。

丸山さんは、自らが信じる正義とのはざまで悩んだ。外環被害住民連絡会・調布の会合からも足が遠のいた。
元産経新聞記者で、50年以上連れ添った妻・智子さん(82)は、ひとりで出席した会合の席で、そんな夫を慮った。

丸山智子さん(82)

丸山智子さん:
「5坪残して、むしろ旗を立てて、そういう生き方もいいんじゃない、あなたの生きがいなんだからって。でもやる力がないからかわいそうなの。もう少し若かったらやりますけれど、体力がない」
「闘うことはすごく大事。それなりに私も闘ってきましたけれど、80を過ぎた人間にどんな闘いができるか。もう限られています。明日のことがわからない」

(2024年1月7日 外環被害住民連絡会の会合で)

(続く)


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