砂つぶみたいな記憶たちをただ並べる。
顔を撫でる砂っぽい熱風。
吹き出る汗をすぐに乾かしてしまうほど、照りつけてくる太陽。
肌の砂漠化を進める、乾燥した空気。
毎日必ず5回、モスクから大音量で聞こえてくるお祈りの声、アザーン。
木の下に集まっておしゃべりを楽しむ男性たち。
ヒジャブの女性たち。
一番暑い時期を経て、いくつも実をつける庭のマンゴーの大木。
砂色の風景に彩りを与える、ブーゲンビリアの花々。
そこらじゅうで生まれ、死んでいく猫たち。
いつも行くスーパーの横でピーナッツを売っている女性。
ゴミを引いて、背中を叩かれ走るロバ。
荷物を乗せて歩くラクダ。
やせ細った牛の大群。
ゴミを食べる羊やヤギ。
過積載のトラック。
仲良くなった八百屋のおじさん。
いつも温かく迎えてくれたフランス語学校の先生たち。
寡黙でやさしい運転手。
日本の文化が大好きな女の子。
野性味強い元半ノラの飼い猫。
首都に1館しかない映画館。
たまに無性に食べたくなるモリンガのピーナッツ和え、コプト。
ちょっとごちそうにしたいときの牛肉の串焼き、ブロシェット。
夕日に染まる、ニジェール川。
2年半、西アフリカ・ニジェール共和国の首都ニアメで過ごした。
その終わり方は突然だったから、記憶を思い出にすることが悔しくて、いままでなかなか言葉にできずにいた。
そんな忘れたくない記憶たちもいよいよ薄れてしまってきている現実に焦りを覚え、こうして急ぎ書き並べてみたというわけだ。
昔のスライド映写機のように、一枚一枚の画が、風景が、顔が、頭に浮かぶ。連続性がなく、時間軸もバラバラだ。
ひとつどこかへ行ってしまっても気づかないくらい些細な記憶かもしれない。でも、それらの一つずつが今の私を支えている。
取るに足らない無数の砂つぶが、サハラ砂漠を作っているようなものだと思う。
ひとまず、言葉にした。思い出として一つの形を得た。自分の中で消化しきれていない感情を、少しだけ癒やすことができた。