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駐妻の言語学習には、タイムリミットがある。

私はベトナムとアメリカを経て、現在インドネシアに住む駐在妻である。
本Noteでは、私自身の経験から、駐在妻の言語学習の特性を考え、
本帰国というタイムリミットまでどう過ごすか、という問いを投げかけたい。

尚、私は親の駐在のため子供時代をアメリカで過ごしたので、英語は基本的に不自由なく使えている。
なので私自身の経験に関しては英語には触れず、ベトナムとインドネシア駐在時の言語学習経験をもとに、「駐在妻の言語学習」について考えていく。



これまでの駐在と言語学習経験

ベトナム語学習

私は2016年4月から12月までの9ヶ月間、ベトナムのハノイに、
2017年1月から2019年2月までの2年と2ヶ月間、ホーチミンで生活した。
ベトナム生活はざっくりと合計約3年、ということになる。

ベトナム語ができるかというと、からっきしダメ、なのである。

ハノイにいた時は数ヶ月間、現地の日本人学習者を対象とした語学学校に通っていた。
週1で、12回くらいのコース、だったように記憶している。
教室に足を運び、若い女性の先生とマンツーマンでレッスンしていた。
それが身についたかというと、非常に怪しい

伸びなかった理由はいくつか考えられる。

  1. ベトナム語が難しすぎると感じていた

  2. 学んでもあんまり身につかないだろうと思っていた

  3. 受け始めてしばらく経ち、カリキュラムがよくないと思っていた

こう見ると、恥ずかしいほどにマイナス思考で消極的な理由ばかりだ

一応弁解すると、ベトナム語は世界中でも、トップレベルに学ぶのが難しいとされている言語なのである。
駐在員で学び始めても挫折している人が多く、簡単な店員とのやりとりなどはできたとしても、ペラペラと会話が続けられる人は非常に珍しい。

私の滞在中出会った数多くの日本人で、不自由なくベトナム語を使える日本人の方は、片手で数えられるほどの様に思う。
かなりの希少人物、レアな人材だ。
平均的に日本人の駐在員やそのご家族は、レストランでの注文や市場での買い物、タクシーの乗車などなら、困らない程度の少しのベトナム語はできる。
込み入った話になると、相手が英語や日本語に切り替えてくれて意思疎通をしている…という印象が私にはあった。

その様子を見て聞いた、駐在初心者の20代の若かりし頃の私は
「そういうもんなんだ」と受け止め、努力を怠っていた。
要は、甘えである。
それ以外の何者でも、ない。

そんな風潮の中でも、ベトナム語ペラペラの希少人物は、確かにいた
思い浮かぶのは、ホーチミン時代に出会ったママ友、Nちゃん。
私としてはベトナム駐在終盤に仲良くなった彼女は、ローカルの人に驚かれるほどベトナム語が流暢だった。
店員との立ち話や商品の質問、タクシーの値段交渉などお手のものなのである。
一緒に出かけたら、私の拙い単語の羅列が恥ずかしく、とても口を開くことなどできない。
Nちゃんは、大学に通って語学を学んだそうだ。
私とベトナム滞在期間はほとんど変わらないのに、しかも初の子育てをしていることも同じなのに(実際は通学は産前に行ったようだが)、彼女と私のベトナム語力は雲泥の差だった
つまり、伸びなかった理由として挙げた、1つ目の難しいと感じていたこと、2つ目の身につかないだろうと思っていたこと、は私の勝手なイメージ及び思い込みだった、と言うことができるだろう。

3つ目に挙げていた、カリキュラムがよくないと思ったことに関して言うと、これは言い訳に過ぎない、と思うしかない
細かいところを言うと、学んでいない単語が複数出てきている長文の和訳を求められたり、読解問題を解く必要があったことが、苦しかった。
さらに、全然聞き取れないのに、長文リスニングの練習問題をすることがあり、その学習活動に疑問を覚えるところがあった。
そんな私は、わからない!難しすぎる!と心が折れてやる気を失い、自己学習を怠り、モチベーションも下がり、レッスンにも遅刻しがちになり…
という、わかりやすい負のループに陥ったのである。

そうなってしまったら、当然、身につくべきものも身につかない。
「それでも負けない!」
「もっと理解できるように、事前に単語を調べまくり覚えまくる!」
「予習復習を余念なくしまくる!」
といった燃えるようなやる気があったら、やる気の負のループに勝てたかもしれないが、当時の私にはそれができなかった。

今思うと、これが個人ではなくグループレッスンだったらモチベーションが違ったかもしれない。
だがそんなこと、完全に後の祭りである。
こんな調子で受けた12回コース、なんとか終えたものの、身についたものはそれほど大きくなかったことだろう。
こんな不真面目なアラサーに付き合ってくださった若い女性の先生に、大変申し訳なく思う。

この語学学校に通ったのは、ベトナム生活当初。
その後、特に追加で語学を学ぶことはなかった。
それでも、レストランや市場、タクシーでの移動では困らず生活できた。
むしろローカル市場では、アリンコ程度のベトナム語なのにも関わらず、「こいつちょっとできるぞ」という現地の風を吹かせ、外国人観光客価格をふっかけられるのを避けられた、ということに満足していた。
実際は単語を並べているだけなのだが、ベトナム語はその程度でもローカルの方に一目置かれる…そんな風潮もあるほど難しいのである、と思っていただけたら嬉しい。

という感じで、私のベトナム語学習は、お恥ずかしい形で終わっている
語学の教員として、ベトナム語学習にこれだけ実を結べなかったのは、心底恥ずかしいことだと、今は思う。

ちなみに一昨年、約4年ぶりに再訪した際は、その単語レベルのベトナム語も、全く話せなくなっていた。
語学は、使わないと忘れるのだ。
元がアリンコ程度だと、それは完全に消えてしまうのだと、身をもって実感したのだった。


インドネシア語学習(現在)

現在私は、アメリカ駐在を経て、3カ国目のインドネシアに駐在している。
ベトナムでの語学学習の恥ずかしい経験をしているので、インドネシア語は違う、と思いたい。

インドネシア語は、非常に学びやすい言語とされている。
インドネシア語(口語的には「バハサ」と呼ばれる)は、1万以上から成る島国で統一感を作るため、学びやすく、話しやすいように作られた、戦略的な言語なのだ。

確かに、文字はアルファベットでシンプル。
発音は複雑なものはなく、日本人のカタカナ読みでも、十分通じる。
一つの単語のもつ意味も広く、使える状況も多岐に渡るので、基本的な単語を知っていれば、意図していることを汲み取ってもらえることも多い。

そんな性質からか、ベトナム語と違い、インドネシア語を流暢に操る駐在員やその家族は、決して少なくはない。
また、現地の人も、外国人でも比較的当たり前に話すからか、容赦なくバハサで話しかけてくる。
語学教員である駐在員妻としては、言い訳できない環境なのである。

とはいえ、私はインドネシアに来てすぐに、バハサ学習に身が入ったというと、そうではない。
駐在当初は、バハサを学ぼう、という気持ちに心が向かなかった。
その理由として、以下のものが挙げられる。

突然のインドネシア異動とその心境
我が家のインドネシア駐在は、アメリカ・ヒューストン駐在からのスライドである。
ヒューストンに渡ったのは2021年夏。
5−6年ほどは滞在するだろうという気持ちでの渡米だったが、突然異動が言い渡された。
ジャカルタに引っ越したのは2023年3月末なので、1年半強の短いアメリカ生活となったのである。

渡米当初は、自分が育った国アメリカへ、子供を連れて駐在妻として戻れることが感慨深かったし、自分の経験と同様のものを子供達もするのかと思うと期待値が大きかった。
それだけに、突然のインドネシア異動は、戸惑いを隠すことができなかった。
限られた短いアメリカ滞在期間になるとわかった後は、最後まで楽しみたいという思いも大きかった。

そのため、本当に失礼なことに、下調べはほぼゼロの状態で、インドネシア入りしたのである
イスラム教の方が大半であるとか、日中アザーンが鳴るとか、ハラルが当たり前でお酒はない文化であることとか、首都が移転する計画だとか、
そんな超常識的な知識さえも皆無の状態で、太平洋を渡ったのである。

語学に関しての事前知識も、ほぼ皆無で。
唯一知っていた単語は、教員時代の最寄駅にあった、よく通っていたインドネシア料理居酒屋の名前、「マカシ」(ありがとう)。
加えて、2階にあったカラオケスナック(未訪問)は「サマサマ」(どういたしまして)。
その2語だけしか知らないという、ひどい有様である。
インドネシアの皆様、本当にすみません。

今考えると、我ながらよくそれで新しい土地に飛び込んで暮らしているものだと、感心さえしてしまう。
そんな状態で、ゼロからのインドネシア生活スタートだったので、到底言語学習まで回らない。
子供達を学校に送り出し、安心して過ごせるようにすること。毎日食べるものを買い物し、食事を準備すること。
とにかく生活を回すことに必死で、新しい環境に置いている身体と、それについて来れていない自分の心を、整えられずにいた
そんな状態で半年ほど過ごしたように思う。

そんな状態を溶かしたのは、時間と、人との出会い、だろうか。
例え短期間であっても、自分の住んでいる場所を知りたいし、愛したい。
そんな考えを元々持っているから、というのも関係しているように思う。

渡尼したのは2023年3月末。夏に1ヶ月ほど一時帰国をし、再度ジャカルタに戻ったところで、気持ちをより前向きに切り替えるようになった。
少しずつバハサ学習を始めようと思い、オンラインレッスンの受講を開始した。
当時は末っ子が赤ちゃんだったので、家で受けられることと、受講時間に融通が効くことが非常に魅力的だった。

オンラインレッスンの利点は、授業の進度やレッスン時間の柔軟性だと思うが、あまりに柔軟すぎることから、自分への甘えがまた出てしまうようにも感じた。
末っ子が1歳半くらいになってからは思うように集中できなくなり、担当講師のレッスン費が上がったのもあり、オンラインレッスンからは遠のいた。
一方で、 Duolingoでの学習は、単語の練習程度に過ぎないが、細く長く続けてはいる。

ゆっくりながらも、バハサ学習に本腰を入れる
もっと真面目に学ぼうと動き出したのは、ジャカルタに引っ越してから1年半ほど経過してから。
末っ子がスクールに通い始め、私自身の時間ができた時だ。
過去の経験を活かし、今回は対面のグループレッスンを、ある程度ガッツリと、定評のあるテキストやカリキュラムでの受講を希望した。
インドネシア語検定に向けての準備コースも提供しているジャカルタコミュニケーションセンターにて、入門コースの受講をしたのである。

現在、全24回の入門コースを終え、まもなく初級コースを開始するところである。
まだまだ初歩的な内容に過ぎないが、実生活で見聞きする単語やフレーズの、理解度は格段に上がったのを感じる。
多少調べながらであれば、ある程度の日常会話もできるようになり、インドネシアの方の優しさと言語の特性故のことだと思うが、それなりに身になっているようだ。
言語学習が楽しいと、ここにきてやっと感じることができている。


駐在妻は、甘いものではない

駐在妻というワードを聞いて、キラキラした生活、綺麗な格好をして、毎日お友達と贅沢なランチに出かける…そんな様子を思い浮かべる人は、いないだろうか。
はっきり言おう。この駐妻像は、幻想である。

地域的なものはあると思うが、30年前の母の様子を思い浮かべても、全くこんなことはなかった。
更に今のご時世、どの国も物価が高くて、毎日ランチなど現実的ではない。
駐在妻は、世の中の人々が思い描く以上に、孤独で大変なことが多いのである。

駐妻は、キャリアが途絶える
多くの場合、男性が駐在を言い渡された場合、犠牲を払うのは女性である。
夫や家族との時間を優先するため、積み重ねてきたキャリアを手放し、何も知らない、自分のことを評価してくれる人は誰もいない、新たな土地に足を踏み入れなくてはならないのだ。
今のご時世、リモートで仕事を続けている方も少なからずいらっしゃるが、自分の意志に反して外国で新生活を始めなければならない、というストレスは変わらないだろう。

私自身、ベトナム時代は職場の休職制度を使って帯同していたが、アメリカ駐在開始と同時に、それまで勤めていた学校を退職した。
私の場合は、自分の育った国に家族で暮らせることを、比較的ポジティブに捉えることができていたが、「自分が活躍できる場所」を失った喪失感は、間違いなくあった。

駐在妻の心的負担
駐在妻は、日本での生活を畳み、新天地に渡り、夫は働きに出る中、家族の生活を支えることが求められる。
それはなんとも昭和な家族像のように思うが、悲しいことに現実だ
家探しや家具の準備から、日々のスーパーでの買い出しに学校への送り迎え。
何がわからないのかもわからない、慣れない社会のシステムに入ること。
初めてのことばかりで、毎日が戸惑いの連続である。

駐在妻も色んな人がいるし、状況の捉え方は人それぞれだが、自分の意思で移住した訳ではない駐在妻は、心理的に過酷な状況を経験するように思う。
特に、生活に慣れていない最初の半年から一年程度は、そんな状態が続いても不思議ではない。
自分とは何者なのか?といった、心にぽっかり穴が空いたような気持ちになることも少なくないだろう。

時間が経てば、お友達ができ、出かける意欲も出て、自分の趣味や学びに没頭することもできるようになる。
しかし、3カ国4箇所での駐在を経験している私は、声を大にして言いたい。
場所がどこであっても、そこに辿り着くまでが、とにかく、とにかく辛いのだ。

駐在妻の言語学習

そんな心境を乗り越えた上で、駐在妻は言語学習に取り組むことが、ある程度、求められている。
それは生活に不可欠だから、という理由が圧倒的に大きいだろう。

「駐在するならペラペラになれるね〜」という、他者の何気ない一言がプレッシャーになっているかもしれない。
これも声を大にして言おう。
駐在妻の言語学習は、そんなに簡単なものではない。

前述した荒波のような生活と心情の変化の中、とにかく日々を回すのに必死なのだ。
子供が小さかったら学習時間など取れないし、一人の時間がないと一息つく間もない。
言語学習は必要だと思うけど、後回しになっている…
実際私もジャカルタ駐在当初はそうだった。
そんな現場の駐妻も、少なくないだろう。

駐在妻の言語学習は、「生きること」に直結する

この様に考えると、本帰国後は同様の目的での学習は続ける必要がなくなる。
もちろん駐在妻の中には、本帰国語も、英語ならよりスキルアップを目指して資格試験をとったり、現地語ならその知識を活かして日本と駐在国の橋渡しになるよう役割を担う方もおられる。
しかしきっとこの方々は、駐在中の言語学習とは、ある程度目的が変わっているのではないか、と感じている。

日々の買い物や、レストランやカフェでの注文。
学校の先生との面談や、ママ友との立ち話。
習い事の連絡や、子供のイベント参加。
医者や看護師への伝達や、事故などの緊急時。
駐在妻が言語を必要とする場面は、とにかく生きることに直結している、と言っても過言ではないだろう。

駐妻の持つ、他にはない強力なモチベーション

語学ができないと、困ることは多々ある。
お店で注文できなかったり、欲しい物が見つからない時に質問できなかったりして、困る
自分の要望を伝えられなず、困っていることを共有できなくて、辛い
通じ合いたい人がいるのに、上部だけの話しかできないのが、悔しい
そういった負の感情を経験することが、駐在や海外生活中は、日常茶飯事だ。

「日本語だったら、こんなこと容易くできるのに!」
そんなもどかしさを感じることも、あるだろう。
その感情にばかり着目したら、気分は落ち込むだけ。
少しずつでも、何かを変えねば!」
そういった思いから、語学学習に取り組む駐妻は多いだろう。

この、「生きること」をより充実させようという気持ちは、モチベーションとして非常に強力なものである。
もちろん、趣味を充実させたい、スキルアップしたい、という学習目的も素晴らしい。
しかし、駐妻の置かれている状況は、言わばサバイバル。
言語ができないと困るし、できると間違いなくQOLが上がるのだ。


駐在妻の言語学習には、タイムリミットがある

ここでやっと、タイトルの内容に辿り着く。
駐在妻の言語学習には、「本帰国」という、はっきりとしたタイムリミットがあるのだ。
本帰国(場合によってはスライド)の時期ははっきりしていないことも多いが、駐在という立場上、確実にいつかはやってくる。

駐妻の言語学習、少なくとも「生きること」に直結したモチベーションを持てる言語学習は、本帰国までだ
慣れた母国語で生活できる日本に帰った後は、他の苦労も出てくるだろうが、何事も日本語。
基本的には実生活の周りにいることは全て理解できるし、わからなかったら調べたり質問することもすぐにできる。
海外生活中の、必死なサバイバル精神で語学学習を必要とすることは無くなるだろう。
「生活をより充実させたい」というモチベーションが持てるタイムリミット。
それが、本帰国まで。なのである。

あなたは今、何を努力する?

私の場合、現在学んでいるインドネシア語は、インドネシアを離れたら学習は続けないだろう。
「現地の人と話したい」ということが今の私の一番のモチベーションなので、住まいがインドネシアでなくなったら、必要がなくなるのだ。
そしてきっと、ものすごいスピードで学んだことを忘れていくだろう、ということも想像できる。
それでも、学ぶのだ。
それは他でもなく、「今を充実させるため」なのである。

あなたも同様に、現在の居住国を離れたら、言語を必要としないかもしれない。
それでも、学ぶのだ。
それは、なぜだろう。

私たちは「今」を充実させるために生きているからだ。

1日1日、本帰国というタイムリミットは、確実に迫ってきている。
そんな中、あなたは今、何を努力する?
私のように、駐在生活の言語学習に、後悔しないためにも、
是非、問い続け、行動と学びを続けて欲しい。

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