キングオブコント2021から考える、笑いと感情の関係性
1.はじめに
はじめまして。中夜祭2021実行委員の吉田です。
画像の通り、イカれアメリカ人みたいな顔がキャンパスを歩いてたら私です。
温かな目を向けてあげてください。
さて、早速ですが本題です。
みなさん、今年のキングオブコントは見ましたか?
キングオブコントとは…キングオブコント事務局、TBSテレビが主催・運営するコントのコンテスト大会。総合司会は浜田雅功(ダウンタウン)が担当している。(Wikipediaより引用)コント日本一を決める大会。
「知ってるわ」という声が四方八方から飛んできました。
そんなキングオブコントを見て、こんなことを思ったりしませんでしたか?
「なんで自分がこのネタを面白いと思ったのか、じっくり考えてみたい。」
はい、思いませんよね。
笑いは本来心や頭を無にするための行動です。
なぜ笑ったか考えようなんて事は笑いの持つ本来の効用を無にするような最悪な行為であり、そんなことをしようことなら言語同断です。
まあ、今日は考えるんですけどね。
なぜ、私がそんな蛇足の塊みたいなノートを書きたいか。
私は、コアなお笑いオタクでもなければ、お笑いについて自分の言葉で書き綴るのも初めてです。なのでお笑いファンとかの方にはどうぞ大目に見てもらえると嬉しいです。
私は「お笑いが好き」というよりも「お笑いを見ることにより起きる感情の変化」が好きです。
あるあるネタを見ることで自分の中に閉じ込めていたイライラがちょっと消化されたり、意味がわからない設定に閉じ込められたコントの主人公に思いを馳せては自分の立場を肯定できたり、時事への一喝にスッキリしたり、そういうやつです。
「負」「異常」「変」そんなものを笑う事は、日常に対する一種のはけぐち、救いであると私は思っています。
「特殊すぎる」ような設定が多かった今年のキングオブコントで、我々がそんなネタのどこに共感点を見つけ、自身の生活と結びつけ、笑いに繋がったか。3本のネタをもとに考えてみたいと思います。
前置きが長い!
それではいってみよう!
(※以下、ネタバレになりますのでご注意ください。)
2.実際のネタで考えてみよう!
2-1.蛙亭「実験体No.164」
とある実験所に「実験体no.164」(中野)が脱走する緊急事態が発生。一番最初に目にした実験員の女性(岩倉)をお母さんと勘違いしてしまう。見た目も特性も気持ち悪いとされる実験体に、実験員も初めは戸惑うが、自分をかばう実験体の言動が次第に愛くるしく思え、実験体に母性を抱いていくコント。
こういうの。
このネタで、特に大きな笑いが発生したところを数カ所取り上げて考えてみたいと思います。
実験体no.164が自分は人間ではないと告げられ「キツいなあ。整理に時間がかかるなあ。」という場面
ここは純粋に共感で起きた笑いではないかと考える。
やっとこの世に出てこれた実験体no.164は自分のことを人間であると信じていた。だが自分は実験体であることを告げられる。
「人に言いづらい事実」を告げる事は難しい事であり、現実世界においてそんな可哀想にもなり得る場面で笑いは起きる事は少ない。
だが実験体であるということにより、現実味が薄れ「人に言いづらい事実」を告げる事の面白みが引き出されていたのではないだろうか。
同時に、「実験体が自分のことを実験体ではないと思い込んでいる」のような、一般人からすれば「分かれよ」と思うような内容であることも、人に言いづらい事実を笑いに転換するために重要な点ではないかと考えた。
実験員が実験体no.164の体に触れるも、あまりの気持ち悪さに「きゃあ!」と倒れるが、実験体no.164が「僕があなたでもそうしたと思います。」という場面
実験員が実験体の腕を引っ張ろうとしたものの、ぬるぬるしていたことが気持ち悪く「きゃあ!」と倒れてしまう場面。
まず本来、色々と容姿等への規制が厳しい中で「気持ち悪いものへの拒否反応」で起きる笑いはそう許容されるものではなくなっている。
だが、今回気持ち悪いのが人間ではなくあくまで「実験体」であることから、何かの気持ち悪さを不快感なく笑いに落とし込むことを実現させていると考える。
対人間だと重かったり、直接的すぎたりするものの、矛先が人間ではなければ笑いに転換することができるというのはこの時代に負を不快感なく笑う事において大きなポイントなのかもしれない。
また、それに対し実験体no.164が「僕があなたでもそうしたと思います。」と自分の気持ち悪さに拒否する人を肯定する。
そんな心が痛いが、相手のことと自分がどう見られているかを「わかっている」ことが周囲の目を異様に気にするこの時代に、大きな笑いに繋がったのではないかと考えた。
最後に実験員が、実験体no.164の腕を引っ張り「これが母性か」と言う場面
最初気持ち悪さの部分にフォーカスがやや当たるこのネタだが、次第に「実験員の実験体への愛」みたいな部分に話が展開して行く。
そして、実験員が自分のために戦う、自分を母親だと慕ってくれる実験体no.164に対しいつしか愛が生まれ、応援し、支えるようになり、最終的に母性が生まれて行く。
これは、君がどんな存在であっても必ず無条件に愛してくれる人はいるのだよという優しいメッセージなのではないかと感じた。
ネタはここから見れます(キングオブコントでやったものとはじゃっっかん違いますが)ので是非。
2-2. 男性ブランコ「ボトルメール」
海岸でボトルメールを拾った佐藤はそれ以来1年間タチバナマリさんという女性と文通をしていた。今日はいよいよ、1年越しにタチバナさんに会う日。「白のワンピース」を着ているというタチバナさんを探す佐藤。出てきたのは顔も声も千原ジュニアにそっくりな女性。その女性があまりにもタイプでどんどんハマっていく佐藤だが…。というようなコント。
こういうの。
このネタで、特に大きな笑いが発生したところを数カ所取り上げて考えてみたいと思います。
タチバナさんが初めて喋り出す場面
白いワンピースを身に纏い、ザ・綺麗な女の人像みたいなタチバナさんですが、なんと喋り出すと声がまるで千原ジュニア。
「がっかりしてはいけない」のだけれども、もし自分が当事者だったら「少し衝撃を受けてしまうだろう」と、無意識な当事者化みたいな点が大きい笑いに繋がった一つの要因なのではないかと考えた。
また、実際の身に起きたら決して笑ってはいけない、笑えないことではあるが、こうして「架空の出来事」として観れる事で、生じる違和感に思いっきり声を出して笑えるのだろうと考えた。
場面が暗転し佐藤がタチバナさんを「好きだなあ」と独り言で呟く場面。(同様に再び暗転したのち「愛が止まらないなあ」と呟く場面。)
そんなクセの強いタチバナさんと会話を続ける佐藤。
舞台が暗転し、佐藤にスポットライト。佐藤が心の声を吐露できる場面だ。
「1年越しに憧れていた女性とやっと対面したものの、声も顔もノリも千原ジュニアを彷彿させるような女性だった」という状況に
「好きだなあ」
と誰もが予想しなかっただろう言葉が発された。
この場面に「人はみんな色んなタイプがある」「君を君のままで好きな人はこの世にいるんだよ」という愛のあるメッセージを感じた。
多様性が肯定される時代のお笑いとして、とても心地よく感じ、落ち着いて笑えてとても気持ちよかった。
ネタは上がってはいるのですがおそらく違法やーつなのでここには載せません。気になる方はそれっぽく検索すれば出てくると思います。
2-3.空気階段「火事」
火事の起きたSMクラブに居合わせた客の消防士(もぐら)と警察官(かたまり)のコント。これ以上でもこれ以下でもない至ってシンプルな設定です。シンプル…?
こんな格好です。カオス。舞台こそ違いますが同じネタはここから見れます。
このネタで、特に大きな笑いが発生したところを数カ所取り上げて考えてみたいと思います。
もぐらが「私は、消防士です!」とカミングアウトする場面。
プレイの為にロープで縛られたまま火事の中に置き去りにされたかたまりのロープを解くもぐら。もぐらは従業員の女の子たちの避難誘導までしたという。「それって従業員がするんじゃないですか?」と問うかたまりに対し、消防士であるとカミングアウトする。
「消防士」というイメージ柄SMクラブに決して行かなそうな、というか行っていると言いづらそうな職業が、生命とプライドを瞬時に天秤にかけ自分が消防士であることをカミングアウトする。
窮地の時に、大事なものを天秤にかけ、それでも信頼を得る為に一つを捨てるような人間の本能が現れているセリフだが「SMクラブ」「火事」「消防」という現実には絶妙になさそうな要素の組み合わせによって笑えるものになっているのではないかと感じた。「SMクラブ」という部分に人間の後ろめたさみたいな感情も包括されているだろう点もまた良い。
「信頼してもらう為に何かを失う」ような現実的すぎたら笑えないような事も、このようないい具合にバカバカしい設定のおかげで、人々の深層心理にある感情を、無意識に引き出し笑いにつながったのではないだろうか。
避難階段への道が火で塞がれている状況に直面するものの「問題ないです。Mですから」と言って困難に立ち向かう場面。
「Mである」という本来人間が隠している少し恥ずかしい、できれば言わずに生きていきたいようなことが、
火事という「痛み」に対して、徹底的に「強み」として作用している。
めちゃめちゃ良いなと思った。
負とだったり異質とされがちな人の奥底の部分を、こんな風に活かすことができるのかと感動した掛け合いだった。
弱み→強みの転換を考えたい時にめちゃめちゃ参考にしたい。大好き。
ほぼ全裸で他のお客さんを誘導しながら「落ち着いてください!消防と警察です!」と2人が訴える場面。
2個前のものと感情の動きは似ているのかなと思った。
「消防と警察がSMクラブ来るんだ…」と思われるリスク以上に「火事という状況であるが自分たちが警察と消防だから落ち着いてほしい」という、恥より良心が勝ち、しかも、恥に良心が勝っていることが大きな笑いになっていてめちゃめちゃ面白かった。
心の底から恥を捨てれる人間ほどめちゃめちゃ面白いことはないなと心底思った。
この場合そこに「人命を守る」という目的がある為になおさら面白いなと考えた。
「今それいう必要なくない?」みたいなカミングアウトを寒く感じる時もあるが、マジで何かがかかっている時に何かを捨てることはマジで面白いと考えさせられた。
また、このコントは通して「SMクラブ」で「人命救助」しているものであり、人の異質な趣味を全肯定するような愛のあるメッセージを感じた。
3.おわりに
ここまで読んでくれた人なんているのでしょうか。レポートみたいな長さになっちまいました。何やってんだが。
ありがとうございます。私の自己流キングオブコント考はいかがでしたでしょうか。
真面目に話してしまってめちゃくちゃに恥ずかしいです。一方通行も悲しいので思うことある方いましたら、ぜひまた感想とか聞かせてください。
3本について、勝手にあーだこーだ言わせていただきましたが異質を異質として自覚しながらも、肯定していくことが大事なのだろうと感じたコントが今年はとても多いなあと思いました。
変だったり劣ったりする事は悪い事じゃね〜ぜ!肯定していこうぜ!みたいなメッセージをまっったく重苦しくなく伝えられるのが、お笑いみたいなやつの最高なところだと思っています。
みなさんも自分に自信がなくなったら、凹んだりするのも良いですが、
笑い飛ばしてみることを選択肢に入れてみてはいかがでしょうか?
それではまた、どこかでお会いしましょう。